【投稿者:片目の子猫さん】
父方の親戚のおばさんの思い出の話をします。
子供のころのことですから、見たことや考えたことを的確に表現することは不可能でした。
ここでは、当時を思い出しながら、大人の文章で書きます。
美人で厳格な親戚のおばさん
彼女の名前は鈴子というのですが、私は「おばさん」と呼んでいました。
親戚の人たちは、彼女のことを「鈴子さん」と“さん”付けで呼んでいました。
どこか他人行儀、特別扱いだったのです。
おばさんは、目鼻立ちが整った美人でした。
独身で、生活感がなく、一般人の中の映画スターという感じでした。
また、立ち居振る舞いが厳格でした。
公式どおりに物事をすすめる礼儀作法にうるさい数学の先生、という感じでした。
つまり、子供心には、人間離れした美人だけど冷たくて怖い人、という印象があったのです。
おばさんの大きな目が私の方を向くと、怖くて震え上がったものです。
幼稚園の頃に初めて見た「おばさんの家にある能面」
幼稚園のころ、葉山にあるおばさんの家に行ったことがあります。
和風の家で、広い玄関を入った廊下の壁に能面が架かっていました。
その能面が、ものすごく怖かった思い出があります。
なんだか、おばさんの顔をモデルにして作ったみたい……。
ひょんな理由からおばさんの家に泊まり込むことに…
さて、中学3年生の夏休みに、おばさんの家に泊まりに行くことになりました。
父が病気になり、家中があわただしくなり、高校受験の勉強が出来なくなったのです。
そのとき、おばさんの方から、「真ちゃんの面倒を見るわよ」と言ってきたのです。(ちなみに、私は真一といいます。)
私は、嫌で嫌で仕方がなかったのですが、蛇に睨まれたカエルみたいで、「ノー」とは言えませんでした。
おばさんの家は、建ってから30年近くなるはずですが、まだ新築のようにきれいでした。
そして、あの能面が、まだあります。
女性の顔のお面です。
笑っているのか、泣いているのか、怒っているのか、表情がよく分かりません。
唇が赤く、肌の色が真っ白で不気味でした。
後になって調べて分かったのですが、その能面は、万眉(まんび)というものでした。
そして始まった、おばさんとの2人だけの生活
おばさんは、「さ、真ちゃんの勉強部屋がここよ」と2階に案内してくれました。
笑いながら応対してくれるのですが、目が笑っていないような感じを受けました。
なお、勉強部屋は、ノートと筆記用具が置いてある机と椅子があり、本棚には国語辞書と英語辞書が入っていました。
部屋の隅にはベッドがありました。
全て新品です。
私のために、わざわざ買い整えてくれたようです。
食事は、キッチンでおばさんといっしょに食べました。
食事の前に、おばさんは必ず仏壇にお茶を供えていました。
その仏壇には、かわいい少女の写真があるのです。
あの少女は、おばさんの娘なんだ……。
未婚の母で子供を産んだのだが、事故で死んで……。
などと、想像をたくましくしたものです。
おばさんの家に着いた日、夕食の後、さっそく部屋で勉強を始めました。
しばらく問題集を見ていたのですが、どうしても能面のことが気になって、頭に入りません。
そのとき、ノックがして、びっくりしました。
おばさんが、お茶とお菓子を持ってきたのです。
でも、階段を上がる足音がしなかった……。
「真ちゃん、何を、お勉強しているの?」
「え、ええと、数学です」
「あらそう、どれどれ、ああ、方程式ね……」
おばさんは、私に近寄って、数学を教えてくれました。
やっぱり数学の先生だったのでしょうか、とても分かりやすく教えてくれました。
ところで、そのとき私は中学3年ですから、セックスのことは、少しは分かっていました。
成熟した女性が、すぐ近くにいるのですから、もうこれはドキドキするのが普通ですよね。
でも、それどころではないのです。
おばさんの身体から、なんともいえない生臭いにおいがするのです。
吐き気がするようなにおいです。
こうして、おばさんの家での生活が始まりました。
ほとんどの時間、部屋で勉強していました。
あまりおばさんに会いたくない……、仏壇には少女の写真がある……、玄関には能面がある……。
夜、フラフラになるまで勉強していました。
疲れる前にベッドに入りたくなかったのです。
ベッドに入っても眠れないのが怖かったのです。
ベッドに入ったら、そのまま眠ってしまいたかったのです。
というのも−−。
夜、おばさんが部屋に入ってきて……。
おばさんは少女と手をつないでいて……。
少女は能面を付けていて……。
こんな妄想が出てくるのです。
結局、おばさんの家には一週間いました。
あそこまで熱心に数学をやったのは、生まれて初めてでした。
おかげで早稲田の理工に入れたのですから、その点は感謝しています。
おばさんが亡くなったとき、能面は……
おばさんが亡くなったのは、私が大学3年のときです。
正月の3日、電話がかかってきて、父がとりました。
「はい? え、鈴子さんが亡くなった……。そうか……。能面は? やはり……、な」
葬儀には私も列席しました。
棺に寝ているおばさんの胸元に、あの能面が置かれていました。
能面は、2つに割れていました。
私が社会人になった年、父は他界しました。
癌でした。
おばさんのことは、とうとう父の口から聞くことは出来ませんでした。
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