今日においては、ありとあらゆる分野の安全性が重視されています。
各業界の人間たちはそれこそ神経質なまでに気を使い、事故の防止を心掛けているでしょう。
だが、そういった安全性が重視されるようになる過程において、多くの事故が発生してきたことを忘れてはなりません。
多くの犠牲の上に今日の安全は作られているのです。
「飛騨川バス転落事故」とは
ことバスにおいて安全性を見直すきっかけとなったのは、1968年に発生した飛騨川バス転落事故です。
その名の通り岐阜県を流れる飛騨川にバスが転落し、犠牲者を出した事故なのですが、その被害の規模があまりにも桁違いなのです。
旅行のために名古屋を出発した15台のバスに、750人を超す人間が乗り込んでいたそうです。
彼らは岐阜県高山市を目指していました。これは当時から有名な旅行ルートであり、バスの運転手たちにとっても慣れた道だったそうです。
それ故に、多少の悪天候であっても問題ないと判断され、雨天決行となりました。
その雨天が、当時日本を襲った台風5号によるものだったとしてもです。
最悪の事態にバスは陥ってしまいました。目的地を目指す途中の、岐阜県加茂郡白川町国道41号線において、15台のバスのうち5台が走行不能に陥ってしまったのです。
原因は台風に伴う土砂崩れです。バスは前後を土砂によってふさがれて、文字どおり右にも左にも動けない状態に陥りました。
乗客たちはみな身の安全を祈り、ひたすらおびえていたそうです。
添乗員が山を見かけたその瞬間、崩れ落ちる土砂が3台のバスを飲み込みました。彼らはみな声すらあげることもできず、押し流されました。
奇跡的に一台はガードレールによって押し戻されましたが、2台は荒れる飛騨川に飲み込まれてしまいました。
犠牲者の遺体の回収は困難を極めた
・・・・・台風が去った後、押し流されたバスと遺体を回収する作業は、困難を極めたそうです。
飛騨川は平時ですら急流として知られており、それが台風によって大きく荒れた状態になっていたからです。
驚くべきことに、翌日には一部の遺体が遠く離れた海で見つかったほどでした。
警察とバス会社、それに自衛隊。6000人を超す人員を動員し、ダムを利用して川の水位をゼロにする、信じられない作戦を決行されました。
それによって、押し流されたバスは発見できたのです。
だがそこに遺体はありませんでした。全てが押し流されて、遠く散乱していたからです。
遺体の回収には、36000人を超すほど人員が動員されたそうです。
そして見つかった遺体は、大きすぎる衝撃によってバラバラに砕け散っていました・・・・
最悪のバス事故による犠牲者は100人を超えており、家族連れで参加していた複数の家族が一家全滅したそうです。
事故があった場所には、慰霊碑が建てられています。
だがそこを通る際には気を付けてください。
もしも、近くに古めかしい服装をした人間がいたとしたら、けして近づいてはなりません。
彼らは自分たちが帰る場所を目指して、今でさえも来るはずのないバスを待ち続けているのです・・・・
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