ジョン・F・ケネディは第35代アメリカ合衆国大統領。そして在任中の1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されました。
以下の動画はケネディ暗殺の瞬間をとらえたことで有名な「ザプルーダー・フィルム」。
そして、犯人として逮捕され、その後の公的な調査委員会でも単独犯として断定されたリー・ハーヴェイ・オズワルド。
しかし、そんな事実誰一人として信じてはいません。
今回はそんなケネディ暗殺に関する陰謀論、真相、そして黒幕について迫ります。
ジョン・F・ケネディ暗殺事件とは
ジョン・F・ケネディ暗殺事件とは、1963年11月22日、テキサス州で遊説中だったケネディ大統領がダラス市内をパレードしている最中に何者かによって狙撃され、その後死亡した事件のことを指します。
事件のたった1時間後にリー・ハーヴェイ・オズワルドが犯人として逮捕されたのですが、なんとその2日後にオズワルドはジャック・ルビーというナイトクラブオーナーに射殺されます。
ダラス警察署の地下駐車場で撃たれるという異常事態でした。
オズワルドは逮捕後に「自分ははめられた」「身代わりにされた」などと語っていますが、すぐに殺されてしまったためケネディ暗殺事件の謎は深まってしまうことになります。
(さらにジャック・ルビーも「操られた」と語っています。事件の裏に潜む巨大な陰謀を感じざるをえないが……)
ケネディ暗殺に対する米政府の対応
当初、ジョンソン新大統領はFBI長官エドガー・フーバーからの「オズワルドの単独犯行」の報告を受けた上でこの事件を処理するつもりだったと言われています。
(このことからも、ジョンソン新大統領とフーバー長官は今回の一件をできるだけ早く鎮静化させたかったと言う意図が汲み取れます)
FIB長官 ジョン・エドガー・フーヴァーとは
ジョン・エドガー・フーヴァーは、アメリカ連邦捜査局(FBI)の初代長官である。
就任当時の第29代カルビン・クーリッジから第37代リチャード・ニクソンまで、8代の大統領に仕え、これは現在に至るまで合衆国で、最も長く政府機関の長を務めた人物の記録となっている。
wikipediaより引用
ところが、オズワルドが暗殺されたことで背後に何者かが暗躍しているのでは、と言う陰謀論が世間で勃発します。
事の重大さを受けて、テキサス州の司法長官がこの事件の真相を明らかにすると発表。
アメリカ議会からも個々で真相を追及する動きが見え始めたため、ジョンソン新大統領もこのままでは騒ぎを鎮静化することな出来ないと判断し、調査委員会の設置を正式に承認することになります。
この時に発足された調査委員会は、連邦最高裁判所長官アール・ウォーレンが委員長をつとめたことにちなんでウォーレン委員会と呼ばれています。
『ウォーレン報告書』の矛盾点
ウォーレン委員会によって、10ヶ月近くにわたる調査の末に発表された最終報告書が、かの有名な「ウォーレン報告書」です。(このウォーレン報告書の一部は1964年9月27日に一般公開もされています)
1964年9月にジョンソン新大統領に提出された最終調査結果(ウォーレン報告書)の主な概要は以下のとおりです。
- ケネディ大統領暗殺はオズワルドによる単独犯行である。
- それ以外の、暗殺の陰謀などは一切ない。
- 大統領を狙った全ての弾丸は後方の教科書倉庫ビル6階から狙撃された。
- 銃弾は3発発射され、その一発が頭部に命中して致命傷となった。
- オズワルド殺害はジャック・ルビーの単独犯行である。
つまり公的な調査委員会が調べた結果も、ケネディ暗殺事件の犯人はオズワルドの単独犯行だったということです。
しかしこのウォーレン報告書、事件の詳細を知れば知るほど矛盾に満ちていることは明白です。
なぜこのような最終報告になってしまったのかは本記事後半の「考察」に委ねますが、何かしらの見えざる意思が働いていたのは間違いありません。
ここではいくつかの疑惑ポイントをご紹介します。
【疑惑01】ケネディに致命傷を負わせた弾丸が後方からという矛盾
ウォーレン報告書では、ケネディを狙った銃弾は全て後方の教科書倉庫ビルから発砲されたものと断定しています。
ですが、ケネディ暗殺の瞬間を捕らえた映像ではケネディは明らかに前方から打たれているように見えます。(前方から狙撃された衝撃でケネディは後方にのけぞっている)
また、暗殺直後ケネディの救急救命を担当したペリー医師も記者会見で「弾丸が来たのは前方から」「のどの傷は銃弾の入り口」、そして後頭部の傷に関しても、銃弾が「入った」傷ではなく「出ていった」傷、であると答えています。
【疑惑02】2発目と3発目の射撃間隔が短すぎる
ケネディに向けて放たれた銃弾は合計3発とされていますが、後の調査で2発目と3発目の銃声の間隔が2秒以下だったことが判明しています。
オズワルドが当日使用していたライフル銃はマンリッヒャー・カルカーノ・ライフルという性能の低いもので、どんな銃の名手といえども2秒以下で正確な射撃を行うのは不可能とされています。
すなわち、オズワルド以外の狙撃手がいたことになりますが……。
【疑惑03】教科書倉庫ビルからの射撃は木が邪魔で狙えなかった
オズワルドの犯行現場とされる教科書倉庫ビル6階からは、木の葉が邪魔でケネディの姿が捉えづらい状況であったことが確認されています。
こんな状況で本当に射撃が命中したのか疑問です。
【疑惑04】3発の発砲で6回命中という矛盾
ウォーレン報告書では、発砲された銃弾は計3発であることはお伝えしました。
そして、この3発の銃弾でケネディとコナリー知事に計6回命中しています。
3発の内訳ですが、1発は失敗、もう1発はケネディの頭部にとどめをさした一撃です。
すなわち、残り1発で頭部以外の傷(計5箇所)を負わせる必要があるということです。
こんなこと、本当にありえるのでしょうか。
【疑惑05】コナリー知事の証言と報告書の矛盾点
ケネディ大統領の車に同乗していたコナリー知事は「大統領を見ると、喉を抑えて苦しんでおり、その直後に自分が撃たれた」と証言しています。
すなわちこれは、2人は別々の銃弾で撃たれたことを意味しますが、ウォーレン報告書では先に紹介した「魔法の銃弾」の一撃により2人が同時に撃たれたことになっています。
コナリー知事の証言通りだと、4発目の銃弾があったことになります。
(ちなみに、暗殺現場に居合わせた人々の証言として多いのが、銃声は4〜6回ほど聞こえた、というものです。この証言はコネリー知事の供述とも合致します)
ですが、コナリー知事の上記の証言はウォーレン報告書には記載されていません。
【疑惑06】暗殺に使われた銃の指紋に関する矛盾点
オズワルド逮捕後、暗殺に使用された銃から彼の指紋・掌紋は一切発見されませんでした。ところが、彼の死後(暗殺された後)になぜか銃からオズワルドの掌紋が発見されています。
【疑惑07】ウォーレン委員会の不可解な情報隠蔽
10ヶ月に及ぶ調査の中で出てきた新事実につながる有益な情報を、ウォーレン委員会が意図的に隠蔽していたという事実がその後の調査で明らかになっています。
中でも、特に重要と思われるのは次の2点です。
- 単独犯だと説明不可能な場所(暗殺直後に教科書倉庫ビル1階)でのオズワルドの目撃証言
- 「小高い丘」から発砲が行われたとされる30以上の証言
特に、通称「小高い丘」からの発砲音に関する証言や「煙を見た」、「走り去る人間を見た」、と言う目撃情報は30以上あったとされています。
なぜ、ウォーレン委員会は30以上もの有力証言を闇に葬ったのでしょうか。
あまりにも不可解な点が多すぎるウォーレン報告書。
オズワルドやルビーの発言などと合わせて、政府の発表をそのまま信じるアメリカ人は少数派です。
そして、当然さまざまな陰謀論も囁かれることになります。
ケネディ暗殺事件に関するさまざまな陰謀論
ここでは、ケネディ暗殺事件の真相に関するさまざまな陰謀論・仮説をご紹介します。
【陰謀論01】キューバ人主犯説
ケネディの後、大統領を務めたジョンソン氏が1973年に亡くなる前に「キューバ人が関係するのではないか」と語ったことから注目された説です。
1959年にキューバで革命が起き、反革命派はアメリカに亡命します。
キューバ革命とは
キューバ革命は、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となってアメリカ合衆国の影響が強かったフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒するに至った武装解放闘争のことを指す。
wikipediaより引用
ケネディ大統領はその亡命キューバ人を支援して革命政府に攻撃を仕掛けますが失敗、反革命軍兵士114人が戦死、約1200人が捕虜となってしまいました。
この失敗をケネディの責任と考えた亡命キューバ人が中心となってケネディを暗殺した、というのがキューバ人主犯説です。
亡命キューバ人ではなく、ケネディに攻撃された革命政府側が刺客を送ったという説もあります。
【陰謀論02】マフィア主犯説
ジアンカーナなどのマフィアが、大統領選でケネディを支援したにもかかわらず、大統領になった途端に、ケネディ政権がマフィア壊滅作戦を始めたので、それを恨んだマフィアがケネディを殺したとする説です。
【陰謀論03】KGB主犯説
KGBとはソ連の情報機関、秘密警察のことです。
当時は「第三次世界大戦が起こるのでは」と恐れられたほど、米ソの緊張が高まっていましたので、当然ながらソ連から暗殺者が送り込まれることも考えられたわけです。
元CIA長官ジェームズ・ウールジー氏は「当時のソ連最高指導者フルシチョフは暗殺を計画し、途中で取りやめたが、オズワルドはやめずに勝手に実行してしまった」と話しています。
【陰謀論04】CIA&FBI主犯説
ケネディ政権の初期にCIA長官だったアレン・ダレスは、上述したキューバ攻撃失敗の責任を問われてケネディから解任され、ケネディを恨んでいたと言われています。
また当時FBI長官だったジョン・フーバーはケネディと対立していたと言われます。
CIAとは
中央情報局(略称:CIA)は、外国での諜報を行うアメリカ合衆国の情報機関である。中央情報局長官によって統括され、アメリカ合衆国大統領直属の監督下にある。(wikipediaより引用)
FBIとは
連邦捜査局(略称:FBI)は、司法省に属するアメリカ合衆国の警察機関の一つ。国内の治安維持を一手に担い[2]、テロ・スパイ、政府の汚職、複数の州に渡る広域事件、強盗事件などの捜査を担当する。(wikipediaより引用)
2017年にケネディ暗殺に関する2800件以上の機密文書が公開※されましたが、それらの機密文書の中にFBI長官フーバーのメモが見つかり、オズワルドが殺された日の言葉としてこう書き残されていました。
「オズワルドが死んだという以外に何もわからないが。オズワルドが真の暗殺者であることを示す何かを公開する必要がある。そうすれば国民を納得させられるだろう。ジャック・ルビーは、共犯者はいないと言っている」(1963年11月24日のFBI内部文書)
この一文は解釈の仕方によっては非常に陰謀めいた一文であるため、公開当時世間を大きく騒がせました。
また、2017年の機密文書公開時、トランプ大統領はかねてより明言していた機密文書の公開を一部見送っています。見送った理由はCIAとFBIから要請があったためとも言われていますが……。
※2017年に公開された機密文書…1992年に「25年以内にケネディ暗殺関連の機密文書を全面公開する」という法律が成立したため、そのちょうど25年目の2017年に公開されることになりました。ただ、全ての資料が公開された訳ではありません。
【陰謀論05】影の政府/ディープステート黒幕説(通称宇宙人説)
この説は一部で非常に有名なものです。
ケネディ大統領は初めての日米衛星放送で、宇宙人に関する情報※を発表しようとしていたというのです。
それに不都合を感じた「影の政府(ディープステート)」が口封じのために演説直前に殺したという説です。
※ケネディはアポロ計画で知り得た宇宙人の存在を全世界に伝えようとしていたのではないかと言われています。
※影の政府(ディープステート)…絶大な権力と財力を持つ人々から構成され、裏で各国の政治や経済に大きな影響を与えているとされる集団。最終的には世界統一政府として君臨することを目指しているとされています。
【陰謀論06】軍産複合体黒幕説
軍産複合体というのは、国防総省と軍需産業が結びついたものです。
ケネディ大統領はベトナム戦争への本格参戦には積極的ではなかったため、戦争による莫大な利益を逃してしまうことに危機を感じた軍産複合体が中心となってケネディを暗殺したとする説です。
事実、ケネディの次のジョンソン大統領に対して、アメリカの軍需産業を支配するデイビッド・ロックフェラーはベトナム戦争への本格介入を進言し、ジョンソン大統領は言われたとおりにしています。
ケネディはその意向に従わなかったので……と考えると、軍産複合体黒幕説も説得力があります。
【陰謀論07】国際銀行家黒幕説
ケネディは政府紙幣を発行しています。
これの何がダメなのかと言うと、ロスチャイルドやロックフェラーが中心となって作ったFRB(連邦準備銀行=アメリカの中央銀行)から通貨発行権を奪うことになるからです。
通貨発行権を失えば、ドルの発行によって景気を操作する力が弱体化します。そのことは政治や経済への影響力の弱体化も意味します。
すなわち、ケネディは通貨発行権を奪うことで国際銀行家の影響力を排除しようとしたのです。
それで彼らが裏から手を回して、ケネディを暗殺させたという説です。
ケネディ暗殺の真相を暴く!!黒幕はこの人【令和最新版】
本項では、ケネディ暗殺の真犯人、真の黒幕について迫りたいと思います。
まずは前項であげた7つの陰謀論について見ていきます。
まず、アメリカ政府が関係していない次の3つの陰謀論「キューバ人主犯説」、「マフィア主犯説」、「KGB主犯説」は仮説としては弱いです。
もし彼らが真犯人であれば、アメリカ政府は徹底的に(それこそアメリカの威信をかけて)真相を究明しようとするはずです。
ちょっと調査して「オズワルド単独犯で決まり」なんて言うはずがありません。
やはりアメリカで権力を持つ何者かが関係していると考えるのが自然です。
となると、当時ケネディと対立していたとされるFBI長官のフーバーでしょうか。
それとも、ケネディによって辞任に追い込まれたCIA長官のダレスでしょうか。
ただ、さまざまな状況を鑑みるとケネディ暗殺にCIAの一部が絡んでいたのはほぼ間違いないと思われます。
皆さんは映画「JFK」はご覧になりましたか?
ケビン・コスナー演じるギャリソン検事がケネディ暗殺に関連した唯一の訴訟であるクレイ・ショー裁判に焦点を当てた(史実を元にした)映画です。
ギャリソン検事は、慈善事業家のクレイ・ショーがCIA経由でケネディ暗殺に深く関わっており、事件にはCIAや軍部、国家も大いに絡んでいたと主張したのですが結果は無罪となります。
ただ、この実際に起きた裁判がきっかけで、のちにクレイ・ショーがCIAのために働いていたこと、そしてCIAがウォーレン委員会に不当な圧力をかけたことが公的に示されることになります。
CIAの事件への関与は、ソ連から帰国後のオズワルドの私生活面において常にCIAの影が見え隠れすることも後押しします。(この暗殺事件は相当前から計画されていたということです)
ですが、CIAが単独でケネディ暗殺を目論んだのかと言えば、それは異なります。
まず、ここまで大掛かりな茶番を、CIAの一部の人間だけで完結させるのは不可能だからというのが一点。
二点目は動機面です。CIAの一部の人間の恨みだけで、ここまで大規模な暗殺事件を起こすでしょうか?
スキャンダルで失脚させたり、闇で葬り去るなど、方法はいくらでもあるはずです。
ですが、実際に起きたケネディ暗殺事件はどこからみても見せしめの意味合いが非常に大きいです。
黒幕の圧倒的な権力を、国内外に見せしめる意味合いがあからさまに汲み取れないでしょうか。
この、とてつもないリスクを冒してまでこのような公開暗殺に踏み切った理由を考える必要があるということです。
では黒幕はどこにあるのか。
そして、ケネディ暗殺事件を追う上で、避けては通れないウォーレン委員会の立ち位置をどう捉えるべきか。
この矛盾だらけの、明らかに陰謀めいたウォーレン報告書の存在はこの事件のキーとなるのは間違いありません。
お伝えした様に、ウォーレン委員会は司法と政界のメンバーで構成されています。(+元CIA長官も混じっていますが)
前項で7つの陰謀論をお伝えしました。
仮説として弱い3つの除いた陰謀論は以下の4つです。
CIA&FBI主犯説
影の政府(ディープステート)黒幕説
軍産複合体黒幕説
国際銀行家黒幕説
筆者(FM都市伝説編集長KEIJIN)は、上記4つ、全てが絡み合っているのではないか、と考えます。
(ただし、FBIの関与には否定的です)
つまりこう言うことです。
CIA(←計画を実行するためのコマ)
軍産複合体 ←利害一致→ 影の政府 ←利害一致→ 国際銀行家
ケネディ暗殺事件を紐解くには、当時の時代背景を把握する必要があります。
当時は戦争で国が回っていた時代です。
国にとって最大の商売が戦争だったわけです。
第一次世界大戦、第二次世界大戦はロックフェラーの意思によって意図的に始められたという陰謀論が存在するほどです。
そんな中、ケネディは最初から戦争に対して反対の姿勢を貫いていました。
冷戦に対して否定的でしたし、核実験禁止も賛成しています。
キューバ侵攻も拒否し、極め付けは戦争の最中であったベトナム戦争の撤退の明言です。
黒幕(愛国者)にとって、国益、そして自身の利益を考えた場合、ケネディの存在は邪魔以外の何者でもなかったわけです。
超えてはいけない一線を、ケネディは超えてしまったということです。
結論としては、黒幕はやはり国を裏で動かす「影の政府」「闇の支配者」「ディープステート」と考えるのが至極自然ではないでしょうか。(もちろん皆さんご存知、あのロックフェラーも多いに関与していたことになります)
国益観点、ひいては国際銀行家や軍産複合体説にもつながりますし、それらを起点に、CIA(の一部)やジョンソン新大統領らがコマとして利用されたと言うことです。
逆に、こう考えないとこれだけの規模の暗殺事件を闇に葬り去ることは不可能です。
一介のテロリストやマフィアがいくら策を練ったところで到底やり切れる規模ではない(暗殺を実行し、闇に葬りされる規模ではない)のは明白です。CIAも然り。
大統領直属の組織であるCIAがコマとして利用されることになった原因は定かではありませんが、ベトナム戦争の戦犯として長官(アレン・ダレス)、副長官(チャールズ・カベル)がケネディによって解雇されたこと、挙げ句の果てにCIA解体まで考えていたケネディに対して、CIAの一部の上層部が恨みを持っていた可能性は十分にあり得る話で、そこを利用されたのかもしれません。
また、ジョンソン新大統領も以下の理由からケネディ暗殺に関与していたと考えるのが自然です。
- ジョンソンが大統領になるやいなや、ケネディの意思を反故にし、ベトナム戦争への継続を表明したこと。
- ケネディ暗殺直後、詳しい調査をすることなくオズワルド単独犯説として事件を早々に片付けようとしたこと。
- 教科書倉庫ビル6階から、ジョンソン新大統領と親交のあった男の指紋が採取されたこと。
- 大統領任期中は、デイヴィッド・ロックフェラーと政策について頻繁に(しかも公に)相談を交わす仲であったこと
そして最後はやはりこれ、ウォーレン委員会をどう捉えるべきかです。
連邦最高裁長官アール・ウォーレンをはじめ、他の議員も闇の政府に取り込まれていたのかどうか、と言うことです。
私は、、、若干グレーではありますが、ウォーレン委員会のメンバーは取り込まれていなかった、と考えます。
ですが、委員長であるウォーレンに対しては、ジョンソン新大統領から命令に近い相当強い要望(無難な方向にまとめるような要望)が伝えられていたのではないか、と考えます。
そもそも、このウォーレン委員会の本来の目的は、国内外の動揺・混乱を抑えるために発足させた意味合いが強く、「結果的にウォーレン報告書は最も意外性の少ない方向でまとめられている」、という意味においては筋が通っていると言えば通っています。
(実は黒幕がいて、それはなんと影でアメリカを支配しているメンバーで、、なんて事実が出てきてしまうと世界がひっくり返りますからね。そんな黒い噂を消し去るために、形式上ウォーレン委員会が設置された、ということです)
また、委員会のメンバー内でも相当意見が分かれていた、という点も委員会が健全であった証です。
特に「オズワルドに共犯はいたのかどうか」「黒幕・陰謀があったのかどうか」については最後まで意見が割れたとされています。
中でも、ジェラルド・フォード下院議員、ヘール・ボッグズ下院議員、リチャード・ラッセル Jr.上院議員あたりは、最後まで相当強く異論を出していたと言われています。
ですが、最終的に(いくつかの微妙な表現の修正はあったものの)報告書の骨子となる部分の変更が一切なかった理由は、委員長であるウォーレンの断固たる強い信念があったためと言われています。
彼は陰謀論の類には一切耳を傾けなかったようですね。(ですから、もしウォーレン委員会に闇の組織の息がかかっているとすれば、対象は『連邦最高裁長官アール・ウォーレン』ということになります。)
結局、このウォーレン委員会・ウォーレン報告書自体も、ケネディ暗殺事件における茶番の一つだった、と言うことです。
ケネディ暗殺事件の今後の動き|報告書の公開は2021年10月予定
ケネディ暗殺関連の資料は、2017年以前にウォーレン報告書も含めて約9割が公開されています。
「一部だけ伏せ字で公開」された資料も含めれば、もっと多いようです。
1992年の「25年以内に全面公開」という法律に基づき、2017年10月に残りすべてを公開するはずでしたが、CIAなどの要請で一部公開見送りとなっています。
法律で決められていることを守れないなんて不思議な気もしますが、大統領ならストップをかけることができるよう、その法律には定めてあったようです。
そして残った機密情報については、「2021年10月までに改めて公開の是非を検討する」となりました。
あくまで「検討する」ですから公開されるかどうかはわかりませんが、これほど出し渋っているところを見ると何か重大な情報があるのではないかと期待してしまいます。
※ちなみに、「ウォーレン報告書は2039年に全面公開される」という話を聞いたことがある方も多いと思いますが、この2039年という期日は1992年に法律が定められた時点で取り消されています。法律上は2039年ではなく2017年が期限となりました。
さいごに
この記事ではケネディ暗殺事件に関して、深く掘り下げた上で黒幕の正体にも言及しています。
もちろん上記の考えは一つの仮説に過ぎず、陰謀論の範囲は出ないかもしれません。
ですが、令和のこの時代に考えられる、最も有力な説であると考えています。
もし機会があるのなら、ぜひJFKフリーク・陰謀論フリークの方々と議論を交わしてみたいものです。
そして、ウォーレン報告書の次なる情報開示は2021年10月(予定)です。
どんな情報が公開されるのか、楽しみに待つとしましょう。
【FM都市伝説 編集長 KEIJIN】
CIAもFBIも軍産複合体黒幕説も、
影の政府(ディープステート)=国際銀行家=
ロックフェラー帝国(世界統一政府)のコマの一つ。