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江戸時代にUFO飛来か!?『虚舟事件』の真相に迫る!

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虚舟事件とは

虚舟(うつろぶね)事件とは、江戸時代の享和3年(1803年)常陸国(ひたちのくに/現在の茨城県)に円盤状の舟が漂着した事件のことです。

舟は見たことのないような奇妙な形をしており、中には言葉が通じない異国の服装をした女性が乗っていたという伝承が伝わっています。

この虚舟事件については、資料ともに漂着した舟と女性を描いた図版が残されています。

特に、江戸時代後期の読本作者であり、「南総里見八犬伝」でも知られる曲亭馬琴(きょくていばきん)が1825年発行の「兎園小説(とえんしょうせつ)」で「虚舟の蛮女(ばんじょ)」という題名で事件について紹介したことが有名です。

描かれた円盤状の舟は未確認飛行物体(UFO)に類似していることから、現代では江戸時代に起こった未確認飛行物体(UFO)の漂着事件だったのではないかという都市伝説が存在します。

虚舟事件の詳細

享和3年(1803年)常陸国(現在の茨城県)の虚舟事件についての資料としては、文人が毎月1回集まって見聞きした珍談・奇談を披露し合ったという「兎園会(とえんかい)」で語られた話を記録した「兎園小説(とえんしょうせつ)」(1825年発行)に、会員であった曲亭馬琴が「うつろ舟の蛮女」という題名で絵と共に残しているものが最も有名です。

この常陸国で起こった虚舟事件について記録した資料は、これらを含めて複数存在します。

資料によって虚舟の漂着場所等の細かな違いはありますが、いずれも虚舟と女性について描かれた図版と共に事件について語られており、享和3年に円盤状の謎の舟が漂着して、中には1人の異国風の女性が乗っており言葉が通じず、舟には謎の文字である蛮字(ばんじ)が書かれていて食料等が積まれていたという事件の概要は共通しています。

江戸時代の江戸幕府御家人・能書家・国学者であり曲亭馬琴と同じく兎園会の会員であった屋代弘賢(やしろひろかた)が手元にあった雑稿を60冊に編纂したという1825年の「弘賢随筆(ひろかたずいひつ)」、幕閣老中筆頭を勤めた松平定信に仕えた駒井乗邨(こまいのりむら/号は鴬宿)による叢書(そうしょ)であり1815年に著した「鶯宿雑記(おうしゅくざっき)」、長橋亦次郎(ながはしまたじろう)という人物が1844年に著した「梅の塵」にも常陸国での虚舟事件について記載されています。

また、それらの他に、著者不明の虚舟事件についての資料が見つかっており、虚舟事件に関する資料は11点現存しています。

曲亭馬琴による「兎園小説」の「うつろ舟の蛮女」

「うつろ舟の蛮女」では次のように事件について紹介されています。

“享保3年の春、2月22日のこと。小笠原越中守の知行所である常陸国のはらやどりという沖はるかに虚舟が現れたので、土地の漁民が浜辺までそれを引いてきた。虚舟は鉄製であり、頑丈である。上部は松ヤニで張られたガラスの様なものがあり、虚舟の形はお香の入れ物の様な形で、丸っこく円盤状である。直径は3間(約5.45メートル)だった。舟の中を覗いてみると異様な見た目の女性が乗っていた。その女性は異国風の変わった服を着ており、髪と眉の色が赤かった。顔の色は桃色であり、獣毛か撚り糸か何でできているかよくわからない白い付け髪を長く背中に垂らしている。女性は言葉が通じず、どこから来たのか聞くこともできなかった。女性は60センチメートル四方の箱を大事そうに抱えていて決してそれを手放さず、人を箱に近づけなかった。舟の中にも謎の文字のようなものが書かれており、水が入った瓶や敷物2枚、菓子のようなもの、肉を練ったような食物があった。ある古老はこの女性は、異国の王の娘であり、不義密通の罪のために流刑になったのではないかと語った。密夫の方は死刑にされたが、王の娘は殺す訳にはいかず、この虚舟に乗せて流刑を行って生死は天に任せたのではないか、そして女性が抱えている箱の中には、死刑にされた密夫の首が入っているのではないかとのことだった。過去にもこのようにして流された女性が漂着したことがあり、生首が船内にあったと古老は語った。公の役所にこのことを届け出した場合、調査のための雑費がかかるため、結局女性を虚舟に戻し、沖に押し流してしまった。舟の中に書かれた蛮字は近頃浦賀沖に投錨(とうびょう)したイギリス舟にも同じようなものがあったが、女性は何者だったのかはわからない。よく知っている者がいたら尋ねたいものである。”

うつろ舟の蛮女

この「うつろ舟の蛮女」は、元々は兎園会で曲亭馬琴の息子である琴嶺(きんれい)が披露した話であり、それを父親である馬琴が「兎園小説」の中で紹介したという流れになっています。

その他の資料における虚舟事件の記録について

「鶯宿雑記」では、

“常陸国鹿嶋郡阿久津浦(ひたちのくにかしまぐんあくつうら)の小笠原越中守様(おがさわらえっちゅうのかみさま)の知行所(ちぎょうしょ)より事件についての訴えがあり、見に行ったところ舟が漂着しており、紅毛通じ(西洋の事情通)にも来てもらったが何もわからなかった。舟は朱塗りでガラスの窓があり、大きさは縦8間(約14.5メートル)、横10間(約18.2センチメートル)位。舟の中には21~22歳位に見える女性が1人乗っており、たくさんの菓子や水、肉を漬けたようなものを持っていた。また女性は1つの白い小さな箱を持っており、無理に見ようとすると非常に怒った。以上のことは著者が江戸に在勤していた時のことで、その後も女性がどこの国の者だったのかは聞いていない。”

鶯宿雑記

と書かれています。

「梅の塵」では「空船(うつろぶね)の事」として紹介されており、

“常陸国の原舎浜(はらとのはま)に窯の様な形をした不思議な舟が漂着し、球の真ん中あたりに釜の刃のようなものがあり、そこから上は黒塗りで、四方に窓があった。窓の障子は松ヤニで塗り固められており、釜の刃の下は筋鉄を打って補強してあり、それは南蛮鉄の最上のものであった。舟の高さは1丈2尺(約3.6メートル)、横幅は1丈8尺(約5.4メートル)。舟の中には20歳位に見える1人の女性がいて、身長は5尺(約152センチメートル)、肌は雪のように白く、あざやかな黒髪を長く後ろに垂らし、顔の美しさは言いようもないほどだった。見たこともない衣服を着ており、言語は全く通じなかった。女性は小さい箱を持っていた。”

梅の塵

と舟の材質や女性の容貌等詳細に書かれています。

長野県で発見された資料では、

“小笠原越中守御知行所房州(おがさわらえっちゅうのかみちぎょうしょぼうしゅう)の湊に舟が漂着し、女性は5日程生きており、その間に食物を与えたが一切食べず壺の中に入った練り物を食べていた。日本人を見て手を合わせて何かを言っていたが言葉がわからなかった。5日目の夕方に謎の文字を書き残して女性は亡くなり、その土地の寺に葬った。”

長野県で発見された資料

ということが書かれています。また、事件の見聞にあたった者として松原勝五郎(まつばらかつごろう)、早川弥惣右衛門(はやかわやそうえもん)という2名の名前が記載されているのが他の資料には見られない特徴となっています。

虚船事件の真相

虚舟事件とはいったい何だったのか?その真相についてはいくつかの説が唱えられています。

未確認飛行物体(UFO)説

虚舟事件は江戸時代の未確認飛行物体(UFO)漂着事件だったという説です。

この説は1960年代から登場し、作家であり超常現象研究家である斎藤守弘によって唱えられました。図版に描かれている円盤状の舟は形や材質が近代において目撃されている未確認飛行物体(UFO)の形と類似しており、近代だけではなく江戸時代にも未確認飛行物体が地球に訪れていたのではないかとされています。

また、舟に乗っていた異国風の言葉が通じない女性は宇宙人の乗組員であり、舟に書かれていた謎の文字である蛮字は宇宙人が使っている文字である「宇宙文字」ではないかと言われています。

海外の潜水艦説

虚舟の正体は海外の潜水艦だったという説です。

虚舟事件が起こったという1803年からさかのぼること27年前になる、1776年にはアメリカでタートル潜水艇という人力駆動の世界初の潜水艇が開発されており、金属製であることやガラス窓が付いている部分が虚舟と類似していると言われています。

こういった潜水艇が何らかの理由で日本に漂着してしまったのではないかと噂されています。

虚舟事件が起こった江戸時代には、伊勢(現在の三重県)からロシア領アリューシャン列島まで漂着した大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)、土佐(現在の高知県)から漁に出て遭難し、アメリカの捕鯨船に保護されたジョン万次郎といった日本人が海外に漂着するという事例も存在するため、逆に海外から日本に漂着する舟もあったのではないかと言われています。

江戸時代に広まった都市伝説だったとする説

虚舟事件は元になった話があり、実在しない都市伝説だとする説です。

日本の民族学者で「遠野物語」で有名な柳田國男(やなぎたくにお)は大正14年(1925年)の論文「うつぼ舟の話」で曲亭馬琴の「兎園小説」をはじめとする虚舟事件について書かれた資料について触れており、実在の事件であることを否定しています。

「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)」にも同様の話が記載されており、それ自体も信憑性が高くはなかったことを指摘しています。

「鸚鵡籠中記」とは、1699年に尾張藩士・朝日文左衛門(朝日重章)により著されました。

この資料には「空穂船(うつぼぶね)」として虚舟事件と類似した話が記載されています。

その内容は、伊勢方面から熱田に漂着した空穂船に美しい宮女と坊主の首が乗っていて、船が出発した日付と100日経てば陸に揚げても良いという書付、20両の金が船内にあったというもので、この事件は当時話題になったものの著者は作り話だと決めつけているといったものです。

舟が漂着したこととガラス製の窓があるという舟の特徴、舟内には女性が乗っているという点が虚舟事件と共通しています。

また、作家である皆神龍太郎は、虚舟事件は「鸚鵡籠中記」の話が元となって江戸時代に広まった都市伝説だと唱えています。

また、虚舟に書かれた文字が、長崎くんちの舟の形をした山車(だし)に描かれている文字(世界初の株式会社「オランダ東インド会社」のアルファベットを組み合わせたマーク)や、江戸時代に渓斎英泉(けいさんえいせん)が描いた「蘭字枠江戸名所 勢州桑名渡(らんじわくえどめいしょ せいしゅうくわなのわたし)」という浮世絵に描かれた西洋文字に類似していることを指摘し、西洋文字を真似たものを虚舟事件の図版にも書いたのではないかと唱えています。

虚舟事件は実際に起きた出来事か?

虚舟事件の真相に関しては様々な説が唱えられており、実際に起こった出来事かどうかも疑問視する説もあります。

事件について書かれた資料については、資料によって共通点があるものの、所々に差異があり、また漂着場所であるとされる「はらやどり」については地名の存在が見つからず、場所が特定できないために、架空の事件と言われる一因になっています。

謎の多い虚舟事件ですが、2014年に新しい虚舟事件について記載された資料が発見されました。

甲賀流忍術を受け継ぐ忍術研究家・武術家、川上仁一(かわかみじんいち)氏が保有する「伴家(ばんけ)文書」です。この資料は忍術を伝える古文書であり、その中に虚舟事件に関する記述がありました。

虚舟研究者である田中嘉津夫によれば、現存する虚舟について書かれた他の資料でははらやどりといった特定できない地名が漂着場所となっているが、伴家文書では「常陸原舎り濱(ひたちはら・しゃりはま)」という実在の地名が記されている上、伴家(甲賀忍者)は仕えた尾張藩主の参勤交代のために情報収集をしており、それ故に嘘は書くことはできないと考えられるために伴家文書の信憑性は高いのではないかと分析しています。

「常陸原舎り濱(ひたちはらしゃりはま)」という地名は、1801年に伊能忠敬が作成した地図「伊能図」にも記載されている地名で、現在の茨城県神栖市波崎舎利浜(いばらきけんかみすししゃりはま)にあたるとのことです。

また田中氏は、虚舟事件は作り話とする説もあるが、事件が起こった年代が特定されていることと舟に関して具体的な図版が残されていることが不思議であり、何か実際の出来事に基づいているのではないかと分析しています。

まとめ

虚舟の真相については未だ明らかになっていませんが、2014年に新たな資料が発見されたように、今後、新たな事実が判明する可能性もあります。

近年、アメリカ国防総省が未確認飛行物体(UFO)の動画を公開しました。これまでオカルトと思われてきた存在が、段々と現実味を帯びてきた時代になっています。

虚舟をUFO、舟の中にいた女性を宇宙人と考える説が存在しますが、あながちありえない話でもないのかもしれません。

実際に起こった事件なのか、舟や女性の正体は何だったのか、謎の多い虚舟事件。

近年は、インターネット経由で海外からも注目されており、虚舟研究を行う田中嘉津夫氏は加門正一のペンネームで「THE MISTERY OF UTSURO-BUNE」という著書を発行し、海外に向けて虚舟の謎について紹介しています。

虚舟伝説は日本だけではとどまらず、海外においても興味深い都市伝説として語られており、その謎めいたストーリーが多くの人々の心を惹きつけているようです。

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