【投稿者:H.N.さん】
これは、私の高校以来の友人Nについてのお話です。
高校時代のNは内気で目立たない女子でした。
しかし勉強はそれなりに出来たので、都内の中堅私大へ進学。
そのまま東京で就職しました。
対照的に私は、地元の大学へ進学してそのまま地元の企業へ就職。
それでもSNSを通じ、Nとのやりとりはそれなりに続いていました。
どうもNは家族と折り合いが悪かったようで、
上京して以来、正月やお盆にも帰省していませんでした。
そんなNが30代半ばに差し掛かった頃、
突然一人娘のKちゃんを連れ、地元へ戻ってきました。
彼女の帰省の理由について、私はてっきり「離婚して、経済的に苦しくなったから」と
思っていました。それ以外に、折り合いの悪かった家族の元へ、
彼女が戻ってくる理由が思い浮かばなかったのです。
しかし、帰省直後に彼女に会って話を聞いてみたところ、
私の推測が完全に外れている事がわかりました。
彼女は「もっとやむにやまれぬ事情」で、実家へと戻っていたのです。
ファミリーレストランで久しぶりに再会した彼女は、
かなりやせ細っていました。おまけに顔からは血の気が引いており、
陰鬱な雰囲気を漂わせていました。
彼女が離婚した理由は元夫のDVでした。
ただし、当時3歳だった娘のKちゃんは、暴力の被害に合わなかったそうです。
とにかく彼女の抱えている事情を知っていた私は、
沈んだ彼女の様子を見て、改めて彼女を慰めようと思いました。
しかし、彼女から話を聞かされた後では、
とても彼女を慰めるどころではなくなっていました。
SNSでは、彼女からそんな話を聞いた事は一度もありませんでした。
Nはボソボソと帰省の理由を話し出しました。
離婚後はとりあえず、Kちゃんを連れ、
安い2階建てのアパートへ引っ越したそうです。
結婚後もNは働いていましたが、それでも経済的な見通しに不安を感じ、
少しでも生活費を切り詰めておきたかったそうです。
しかし、娘を預けておく保育園がなかなか見つからず、
Nは困り果てていました。このままだと仕事を続けられなくなる、と。
そんな時、救いの手を差し伸べてくれた人物がいたそうです。
同じアパートの隣人Sでした。私達と同い年位の30代で、
Nが引っ越してすぐ仲良くなったそうです。
Sは長髪で整った顔をしていたそうです。
ただしその服装はいつも黒っぽい喪服のようなもので、
華やかさに欠けていた、との事。
しかし、華美な物を嫌うNにとって、その事は逆に好印象だったそうです。
穏やかで話しやすく、内気なNもSに対してはすぐに心を開いたそうです。
Sは独身で、フリーランスとして在宅の仕事をしていたそうです。
そこで、Nに対し「Nさんが仕事に行っている間は、娘のKちゃんを預かる」と
申し出たそうです。
当初Nは、さすがにそこまでしてもらうのは…とためらったそうです。
しかし、他に手段も見つかりません。しかもKちゃんがSになついていました。
そこでやむを得ず、その申し出に応じたそうです。
もちろん、ある程度の謝礼を支払うとは伝えたらしいのですが、
Sは固辞したそうです。
「Kちゃんのためにも、支出はあまり増やさない方がいい」とまで言ってくれたそうで。
当時のNは、Sに非常に感謝していた、との事でした。
ところが、だんだん事情が変わってきます。
Sが、あまりにもKちゃんを甘やかし過ぎるので。
最初はKちゃんの好きなお菓子を、言われるがままに買って与える程度でした。
ですが次第に、高価なおもちゃ、Nではとても買えないブランド品の子ども服、
高級ホテルでの昼食など、
Nが耳を疑うような金額の贈り物が、Kちゃんへ与えられるようになったそうです。
Nはやんわりと「やめて欲しい、教育上良くない」と伝えました。
しかしSは、全く聞く耳を持たなかったそうです。
「私がKちゃんにしてあげたいだけだから」と、笑顔を見せるだけ。
それだけならまだ良かったらしいのですが、
Nをさらに困惑させる事態が生じます。
すでにNが帰宅しているのに、SがなかなかKちゃんを家へ帰さない事が、
頻繁になり始めたそうです。
NがSの家へ迎えに行けば、
Sは何事もなかったかの様に、Kちゃんを笑顔で送り出したそうですが。
Nは「どうも様子がおかしい」と思っていました。
しかしそれを、Sに感づかれたくなかったそうです。
頼れる人物がS以外にいなかったので。
そこで次第にNは遠慮するようになったそうです。
帰宅してからもすぐには、
S宅へKちゃんを迎えに行かなくなったのだとか。
Sが自発的に娘を返してくれる様に願いながら。
大抵はKちゃんが眠たくなると、さすがのSもKちゃんを家へ帰していたそうです。
ある日までは。
その「ある日」には、夜中の12時を回っても、
Kちゃんは家に帰ってこなかったそうです。
それ位の時間になれば、当然Kちゃんは寝ています。
Nが仕方なく迎えに行ったところ、Sは以前通りの応対はしませんでした。
「もうKちゃんが寝ちゃってるから、明日迎えに来れば?」と言われたそうです。
さすがにこれ以上何も言わないのはまずい、と思ったNは、
意を決して行動を起こしました。
そのアパートの近くに住む大家さん(中年の女性)に事情を説明し、
少しの間だけ娘を預かってもらう様にお願いしたそうです。
もちろん大家さんの都合を尋ねた上での事です。
そして、ある祝日にKちゃんを大家さんへを預けた上で、
Sの家を1人で訪ねたました。
NはSに、まず心の底から感謝している事を伝えました。
その上で、「少なくとも、あまり高額の物を買い与える事はしないで欲しい」という事、
そして「Sさんにも迷惑だろうし、私が帰ってきた時には娘を家へ帰して欲しい」事、
その2点を伝えたそうです。
Nの性格からすれば、その2つを伝えるだけでも、
相当な勇気が必要だったと思います。
SはNの予想に反し、特に怒る様子も見せず素直に謝ったそうです。
自分の考えが浅はかだったと。そして、Nへお詫びとして、
買い置きのケーキと紅茶を差し出したそうです。
Nは戸惑います。これでは娘への対応と似ており(「物を与える」と言う点で)、
本当にこちらの言いたい事が伝わっているのか訝しんだので。
しかし、ここでさらにSを追及しても話がこじれるだけだと思い、
仕方なく差し出されたものを頂いたそうです。
ですが、これは完全に間違った判断だったとNは後から気づきます。
差し出されたケーキと紅茶を口にしつつ、Sと世間話をしていると、
Nは強い睡魔に襲われ、いつの間にか眠ってしまっていたそうです。
Nが目覚めた時、彼女は警察官に肩をゆすられていました。
ぼんやりと辺りを見回すと、
自分が車の助手席にいる事に気づいたそうです。
車はSのもので、Sもまたもう1名の警察官から、何かを問い詰められていました。
ぼーっとした頭で、Nは警察官とSからの説明を受けました。
Sの家で、突然Nが倒れてしまった事。
いくら呼びかけても目をさまさないので、Sが不安となり、
慌ててNを車に乗せ病院へ向かった事。
その途中、スピード違反で警察に呼び止められた事…。
その後、パトカーに先導される形で、NはSの車で病院へ向かいました。
しかし、診察を受けても特に異常は見つからず、
診断は下らなかったそうです。ただ、経緯を伝えた医師から、
「一度、脳神経内科を受診するように」と勧められたそうです。
再びSの車で自宅に戻った時には、もう日が暮れかかっていました。
Nは慌てて大家さんの家へ向かい、娘を引き取ってお礼を述べたそうです。
Nはすぐに帰宅するつもりでしたが、そこで大家さんに呼び止められます。
娘さんを家まで送ったら、もう一度うち(大家さんの家)まで来るように、
と言われて。
何となく不安を覚えながら、大家さんに言われた通りKちゃんを家まで送り、
家の鍵をしっかりと閉め、Nは大家さんの家へ戻りました。
そして、大家さんから思わぬ事を告げられたそうです。
Nは慌てて家に戻ります。出来るだけ物音を立てないように。
そして、預金通帳など最低限の物をかき集めて、
Kちゃんを連れてその家を後にしたそうです。
その時点で、Nは実家へ帰る事を決意していました。
私が思っていた通り、Nは家族と折り合いが悪かったそうです。
おまけに、離婚した元旦那との結婚に反対され、
それを押し切る形で婚姻届を役所へ提出していたので、
実家に戻る気などさらさらなかったそうです。
ですがそれでも、大家さんから話を聞かされたNは、
実家に戻らざるを得なかったのです。
大家さんの話は以下の様なものでした。
Sとはあまり関わらない方がいいかもしれない。
彼女は、今でこそ一人暮らしだが、
去年まで一人娘と一緒に暮らしていた。
ちょうどKちゃんと同じぐらいの歳だった。
しかし、その子を事故で亡くしてしまい、
それ以来精神的に不安定な状態である。
精神科に通い、抗うつ薬や睡眠薬などを処方してもらっているらしい。
大家さんからの説明を受け、Nは瞬時に悟ったそうです。
なぜ、Sはあそこまで自分の娘に優しかったのか。
喪服のような彼女の黒い普段着。
Sの処方されている睡眠薬。
Sの家で突如自分を襲った眠気。
Sが自分を同乗させ、猛スピードで車を走らせた事。
警察官がスピード違反でSを制止していなかったら、
自分がどうなっていたのか。
Nの話を聞き終わり、私はただただ呆然としていました。
憔悴しきったNの様子から、彼女の話がとても嘘だとは思えなかったので。
一応「もう大丈夫なんじゃない?」と気休めの言葉をNにかけました。
そしてあまりにもやつれ果てていた彼女を、
念のため実家まで送り届けました。
出迎えたNのお母さんは、Nから聞いていたよりずっと優しそうな感じでした。
私は少しだけ安心し、Nの実家を後にしました。
そしてその後もNとのやり取りは続けています。
ですが今に至るまで、とてもNに伝える事が出来ないままでいます。
もちろん、自分の勘違いという可能性もあるので。
Nの話をファミリーレストランで聞いていた時の事です。
私たちの座っていた斜め向かいの席、Nからは見えない位置でした。
1人の女性が座っていたのです。長髪で、喪服のような格好をした女性が。