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『火垂るの墓』の都市伝説まとめ|語られなかった裏設定やポスターの秘密など徹底紹介!

1988年にスタジオジブリ制作、高畑勲監督として公開された長編アニメーション映画『火垂るの墓』。

野坂昭如(のさかあきゆき)の同名小説を原作として作成されています。

主人公である清太が「僕は死んだ」という衝撃のナレーションから始まるこの物語。

上映時間は88分という短さにも関わらず、戦争孤児を主人公に、一切の妥協無く描かれており、戦争の悲惨さをストレートに伝えてくれる作品です。

金曜ロードショーでも、終戦記念日近くの8月によく放送されており、戦争のひどさを後世に語り継げる作品として高く評価されています。

実は、驚くことに公開当時は『となりのトトロ』と同時上映されていたそうです。

まるっきり正反対の内容のこの2作品が、同時に上映されていたなんて、今となってはちょっと信じられないことですが、まぎれもない事実。

映画を見るだけでは知らない、作品にまつわる真実や噂、都市伝説。

ジブリ作品にはこういったものが多くささやかれています。

もちろん、『火垂るの墓』もその例外ではありません。

ここでは『火垂るの墓』にまつわる都市伝説についてご紹介したいと思います。

『火垂るの墓』は幽霊が生前を振り返る物語である

「昭和20年9月21日夜。ぼくは死んだ」

この映画の一番最初のセリフです。

このシーン、清太は2人存在しています。

1人は、真っ暗な背景の中で、赤色がかった清太。

もう一人は、三ノ宮駅の大きな柱にもたれかかり座り込んでいる清太。

出典:https://animebolg.com/seita-deth/

同一人物がなぜ2人も描かれているのかというと、赤色がかった清太は実は幽霊だから。その証拠に、柱にもたれかかっている清太は服装もボロボロで、頬もこけていて、息も荒い状態。

そして、しばらくすると、横に倒れ込み駅員さんが、「ああ、こいつも死んでしもうた」と彼の死を確認しています。

と、いうことは、赤色がかった清太は死にそうな自分を客観視してナレーションをしている幽霊なのです。

その後、死体となった清太の遺品を駅員さんがあさっていると、妹の節子が好きだったサクマドロップの缶を発見します。

しかし、駅員さんはその缶が大切なものとは知らないため、ゴミの様に投げ捨てる。

すると、中から骨が出てきて蛍が飛び出し、蛍の中から節子が表れます。

この時の節子も、赤色がかっている。

出典:https://ameblo.jp/studiopure2007/entry-12518051913.html

そして、節子は清太が死ぬ大分前に死亡しています。

ということは、画面が赤くなるときは、清太や節子が幽霊として登場しているということ。

このことを踏まえると、この物語は、幽霊となった清太が生前の自分を振り返る話であり、主人公は、生前の清太ではなく、幽霊となった清太。

冒頭シーンでは、駅構内の映像が少し歪み過去の三ノ宮駅と現代の三ノ宮駅が描かれていたり、清太におにぎりをくれる人がいるのですが、そのおにぎりが一瞬で消えたりと時空がゆがんだような演出が細かくされているので、注目してみてください。

出典:https://ameblo.jp/studiopure2007/entry-12518051913.html

赤色がかったシーンは冒頭以外にも何度も登場しますが、この時は幽霊となった2人が生前の自分たちを何度も繰り返し見ているという演出となっているのです。

実は、上映当初は未完成作品だった

『火垂るの墓』を一度でも見たことある方は、「この作品のどこが未完成なんだ?」と感じるかもしれません。

ですが、上映当初は未完成として上映されていたのです。

上映以降のビデオやテレビ放送、DVD等で見られた方は、完成品をご覧になっているので、現在では未完成のシーンを見ることができません。

なので、どうしてそうなったのか、いきさつだけでも紹介したいと思います。

まず、原因となったのが『となりのトトロ』と『火垂るの墓』を同時上映したこと。

『となりのトトロ』は企画当初、60分程度の中編映画でした。

また、今となっては、宮崎駿、高畑功、スタジオジブリという名前は知らない人がいないのでは?というほど有名になっていますが、公開当初はむしろ一般知名度がほとんどない名前。

そのために、『となりのトトロ』60分映画1本だけで全国上映は厳しいと、東宝宣伝部も消極的だったようです。

そのために、苦肉の策として鈴木敏夫プロデューサーが同じく中編映画として高畑勲監督の『火垂るの墓』と同時にすれば全国で上映できると発案。

この案が通り、2作品は同時進行で作成することとなりました。

しかし、この後に様々な誤算が起ります。

まず、2作品の上映時間。

当初は60分程度の中編映画となっていたのですが、『となりのトトロ』は86分、『火垂るの墓』は88分と、2作品とも上映時間が延びています。

この時間となればもう中編映画ではなく、長編映画と呼べるもの。

それなのに、スタジオジブリはこの長編映画の製作を同時に進行しました。

そうすると、人員のやりくりや、公開までの締め切りなど問題が出てくるのは当たり前。

結果として、彩色が公開までには完成させることができないという事態となってしまったのです。

鈴木プロデューサーは、未完成のシーンはカットしてしまえばいい等の代案を提案したようですが、高畑監督は妥協を許しませんでした。

代わりに、ストーリーをカットするのではなく、観客が違和感なく鑑賞できる方法を考えたのです。

そして、上映されたときにはところどころ白いシーン、(白味や線取りの状態のままのもの)が登場したそうです。

清太が野菜泥棒をして捕まるシーンといったものがそういう手法で上映されたのだとか。

当時の観客は、映画の演出だと認識していたそうです。

しかし、宮崎駿監督の弟一家がこの映画を見終わった瞬間に、鈴木プロデューサーに未完作品ではないかと指摘をされたなど、わかる人にはしっかりわかってしまうようなものだったのだとか。

わずかながらですが、未完成のまま公開となってしまったこの作品。

高畑監督は未完成を放映してしまったということに責任を感じて、一度アニメ演出家業を廃業する決断をしました。

こういった経緯で、1991年の『おもひでポロポロ』まで、“高畑功監督作品”という文字を見ることはなかったのです。

この作品で監督を復帰した経緯には宮崎監督の後押しがあったからなのですが、これがなければ廃業したまんまだったのかもしれなかったというワケです。

清太と節子の死因は何?

清太と節子の死因として一般的に考えられているのが、栄養失調による餓死。

しかし、都市伝説として2人の死因は別にあるとささやかれています。

その死因についてあげてみたいと思います。

清太の死因

出典:https://qna4i74bwyy0.blog.fc2.com/blog-entry-146.html

彼の本当の死因は自殺ではないかという噂があります。

冒頭のシーンで、弱った清太におにぎりをあげている人が描かれています。

これだけ弱った状態で白米のおにぎりを無条件で差し出されたら、むさぼり食うのではないかと思います。

しかし、清太はこのおにぎりには一切手を出さなかった。

生きようという思いがあるのであれば、このおにぎりを食べて死を回避できたはずなのに、清太はしなかった。

ということは、清太は生きることを止め死を選んだということで、自殺だったのではないかということです。

妹の節子が生きていた時、清太は、生きることや妹を生かすことに懸命でした。

野菜泥棒をしたり、大人の手を借りずとも2人で生きて行こうと決め洞窟での生活を始めるなど、生きようという意思があったように思います。

また、清太は、母親が貯金をしていたお金をおろしているのですが、このお金を使い切ったという描写もない。

この時清太が手にしていた金額は、7000円。

現在の額にすると、数百万の価値があったと思われます。

これだけの額を手にしていながら、食べ物を買うでもなく、節子が死んで1か月後には死亡してしまう。

自殺と言われるのも納得です。

しかし、生きる気力を無くしてしまったという方がしっくりくるような感じもします。

母親を亡くし、妹も亡くし、さらには父親の生死や所在も不明となれば14歳の子どもが一人で生きるには酷な状態だったのかなと推測できます。

出典:http://mangadojyo.doorblog.jp/archives/11190195.html

節子の死因

彼女は、生前病院で栄養失調という診断を受けています。

しかし、同じような食生活をしていたにも関わらず、清太はこの段階では栄養失調に陥っていません。

14歳の男の子ということから考えても、清太の方が栄養失調になりやすそうですが、節子の方が栄養失調になった。

そのことからも、餓死ではなく、別の死因が節子にあったのではないかと憶測が飛び交っています。

特に重要となるのが、節子があるときから目に異変を訴えること。

この原因となったのが空襲のシーンで、節子の目の中入った雨粒。

当時の日本では、軍用工場から出る有害物質や、原爆の放射線が含まれた黒い雨が体内に入り込み、免疫力が低下してしまうという事例がありました。

もし、節子の目に入ったものがこの有害な黒い雨だったら、十分死因となりうるわけです。

実際にこの雨を目に入れると激しいかゆみや痛みに襲われるといった症状があったそう。

そしてこの雨水はじわじわ体をむしばんでいき影響を及ぼしていたのだとか。

節子も湿疹や腸炎といった症状が表れていることからも、黒い雨の症状に当てはまります。

腸炎などは、過酷な生活環境が原因とも思われますが、汗疹に関しては、2人がまだおばさんの家で暮らしていたときから症状が表れていました。

このことからも、直接の原因はこの雨が目に入ったことで引き起こされたのだと考えられるのです。

なので、清太が節子に一生懸命食べ物を与えようと奮闘していましたが、どんなに頑張っても、節子はこの雨を目に入れてしまった時から運命は決まっていたのかもしれないということです。

『千と千尋の神隠し』に節子が登場する?

出典:https://togetter.com/li/333451

千と千尋で、千が銭婆に会うために電車に乗るシーン。そこに水上の駅という駅が出てきます。

その駅に、おかっぱ頭の女の子が一人描かれているのですが、この女の子が、清太を待っている節子ではないかという噂があります。

一見すると、節子のように見えるこの女の子。

この電車に乗る乗客たちは全員影のように不透明な存在で描かれているため、この女の子も顔がわからないため性格なことはわかりません。

しかし、髪型は同じでも服装や背格好は節子と違うように感じませんか?

死後、清太を待っている間に成長したということも考えられるかなと思いますが、『火垂るの墓』で幽霊として登場した節子は生前の姿のままです。

そのことからも、『千と千尋』に登場する女の子は節子とは違うのではないかと考えられます。

ポスターに隠された秘密

出典:https://twitter.com/comicloverhouse/status/984833719579041792?s=20

作中で、清太は節子のために、大量の蛍を集めて喜ばせるというシーンがあります。

この作品のポスターはこのシーンが描かれていると思われていました。

しかし、このポスター、実はとある仕掛けがあったのです。

それは、ポスターの明るさを変えると、B29が浮かび上がってくるというもの。

Twitterで取り上げられたこの事実は瞬く間に話題となり、スタジオジブリはこのことに関し、「当時を知る人が少なくなっており、確証を得られるものがありませんので、お答えは控えさせて下さい」と回答をするまでとなりました。

しかし、ジブリ側からも正解とする回答が得られていないので明確な事実はわかりません。

ですが、節子や清太が囲まれている光は蛍だけではなく、焼夷弾も含まれていたというのはポスター自身が物語っています。

また、蛍の形もよく見ると、丸と細長いものとで違いがあります。

実際、清太と節子が、洞窟での2人暮らしをはじめた際に、飛んでいる戦闘機のことを節子は、「蛍みたい」と表現していることもあり、ポスターからこのことが明示されていたとしても不思議ではないということです。

「蛍」ではなく「火垂る」という漢字をつかう理由

出典:http://gcmm.blog.fc2.com/blog-entry-361.html

『火垂るの墓』で有名なセリフに「何でホタルすぐ死んでしまうん」というものがあります。

このことからも、作品名にある、“ほたる”の部分は、昆虫の蛍からきているように感じます。

しかし、昆虫のほたるであれば、蛍やホタルと書くのが一般的。

ですが、この映画の作品名には“火垂る”という字が使われています。

なぜ、この字が使われたのかは、冒頭で幽霊となった清太と節子が神戸大空襲のシーンを眺めていることからわかります。

このとき、2人は、爆弾投下のシーンを眺めています。

まさしく、作品名のごとく火が垂れている状態を見ている。このことを蛍とかけて火垂ると表現した。

蛍が爆弾として表現されていたというのは、この映画のポスターでも使われている手法です。

また、蛍という虫の語源は、「ホは火なり、タルは垂なり」というものからきているようで、

火垂、すなわち、火を垂れる虫ということだと昔の人は考えていたように、蛍の光が火だということはその語源からもわかります。

そのために、ただ蛍と表現するのではなく、爆弾と言った光も合わせる意味を含ませるために火垂るという字を使い、節子のセリフにもあるように、すぐ死んでしまう蛍に清太と節子の2人を重ね、儚く死んでいった2人の物語となっているのです。

節子、清太の声優さんは行方不明になっている?

節子の声優を務めたのが、白石綾乃さん。

彼女は節子の声優を担当していた当時は5歳11カ月という年齢で、関西地区出身の方でした。

まさしく節子と同じ出身で年も近い、そして、本職の声優さんではない方。

この作品がリアルに描かれているというのはこのことからもよくわかるのではないでしょうか。

清太の声優を務めた辰巳努さんも16歳で関西地区出身という清太に近い環境の方だったことからもわかります。

辰巳さんは、子役として1980年代には何作品か声優、俳優ともに出演されていますが、1990年代以降には出演作はありません。

また、2012年に『火垂るの墓』のイベントに出演依頼をしようとした際には、連絡がつかず、WEB等でも呼びかけたのに、連絡が付かなかったようです。

行方不明とまではいかないと思いますが、芸能界から引退されており、一般人として生活されているようですが、業界の方も接触ができないため、行方不明とささやかれているようです。

また、節子の声優さんの白石さん。

彼女に関しましてはさらに情報がありません。

実際、彼女のWikipediaの項目もないほどです。

火垂るの墓以外に声優としてのお仕事もしていないようで、関西ローカルで放映されたドラマ「部長刑事」に、1話のみ出演したという情報があるのみ。

引退の理由として上げられているのが、事務所の倒産。

彼女が所属していた事務所は不明となっているためこの情報の信ぴょう性はどれ程なのかわかりませんが、事務所が倒産したことがきっかけで芸能界を引退し、一般人になったと言われています。

清太と節子の声優を務めた2人は、その後芸能活動をしていないことから行方不明と言われているようです。

反戦映画ではなく、心中物語。

出典:http://blog.esuteru.com/archives/9093295.html

『火垂るの墓』と言えば、戦争の厳しさや過酷さといったものをリアルに伝えてくれる作品です。

この作品を見ると、二度とこんな時代が繰り返されないようにと願わずにはいられません。

そのために反戦映画ととらわれがちなのですが、実は高畑監督にはその思いはなかったのだとか。

それどころか、この作品は清太の心中物語として描かれているようです。

そのことは、『スタジオジブリ作品関連資料集II』で

「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」と繰り返し述べていて、「決して単なる反戦映画ではなく、お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた」

『スタジオジブリ作品関連資料集II』より引用

とも話しています。

また、神奈川新聞2015年1月1日付のインタビューでは

「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」

「神奈川新聞2015年1月1日号」より引用

とも語っており、監督自身で、反戦映画であることを否定しています。

しかし、このアニメが反戦として世の中に受け取られたことについては、やむを得ないとしていながらも2015年8月12日に掲載された 朝日新聞デジタルの『空襲の経験、きちんと映画に 「火垂るの墓」高畑勲監督 』で掲載インタビューでは

「戦争の悲惨さを出すんだったらもっと激しくやらなければおかしいんじゃないか。」

と語っていることからも、反戦映画としてつくっていなかったことがよくわかります。

監督がこの作品と作った意図は『アニメージュ1988年5月号』に以下の様に書かれていました。

「当時は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の『全体主義』が是とされた時代。清太はそんな全体主義の時代に抗い、節子と2人きりの『純粋な家族』を築こうとするが、そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。我々現代人が心情的に清太に共感しやすいのは時代が逆転したせいなんです。いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします

「アニメージュ1988年5月号」より引用

このことからも、反戦ではなく、清太が節子との心中をテーマに描かれた作品なのがよくわかります。

清太目線で物語を見ると、おばさんは自分たちをいじめている存在に見えるし、節子と2人で、生活ができるようにも思えます。

しかし、客観的に見ると、おばさんは節子や清太にご飯を与えているし、個室も与えている。

文句を言っているのは、清太が何もしていないから。

そして、おばさんの家を飛び出し、社会と関係を断ち2人で生活を始める。

時代が時代な上に、清太は14歳という年齢。

この状況で、節子と清太を待ち受けるのは死という結末というのは避けられないことのように思います。

そのように考えると、心中物というのも納得できるのではないでしょうか?

冒頭のシーンで死にそうな清太に見知らぬ人がおにぎりをくれますが、清太はこのおにぎりを食べません。

この描写が、自分に手を差し伸べてくれる人がいるのに、それを拒絶するという清太を表した表現であるのであれば余計に心中物だということがわかるのではないでしょうか。

放送禁止作品となってしまっている?

出典:https://kanzo.jp/archives/8209

『火垂るの墓』を検索すると、放送禁止という単語が出てきます。

では、本当に放送禁止となっているのか。

地上波でこの作品が最後に放送されたのは、2018年4月13日。高畑監督の追悼作品として放送されました。

それ以降の放送は2021年12月現在ではありません。

その原因となっているのが、サクマ式ドロップではないかと言われています。

劇中で節子がサクマ式ドロップを大切にしています。

このことで、このドロップは売上を延ばしたようですが、その後、このドロップを製造していた佐久間製菓は廃業になってしまいました。

その後、後継企業として「佐久間製菓」と「サクマ製菓」が誕生。両企業ともに、このサクマ式ドロップを製造し始めました。

そうすると、商標をめぐって裁判となってしまい、「サクマ式ドロップ」の商標を勝ち取ったのが佐久間製菓。

こういったトラブルがあったことにより、劇中で同名のドロップが描かれているのが問題のために放送が禁止となったのではないかと言われています。

しかし、実際にはこういった事実はないようです。

その証拠に、節子が印刷されたサクマ式ドロップが佐久間製菓から販売されているので、このドロップの商標が問題となり放送禁止となったというワケではなさそう。

その他にこの映画が放送禁止となっている理由として、政治的思想的理由というものが上がってきます。

戦争映画を流すのは良くないと、テレビ局の方や世の意見があったからというもの。

しかし、高畑監督はこの映画は反戦映画ではなく心中物だと言っていることからも、反戦映画としてこの映画をとらえることによって、放送を禁止したということはなさそう。

では、最後に考えられるのは、視聴率が取れなくなったから。

その視聴率とは以下のようになっています。

1回目    1989年8月11日 20.9%
2回目    1990年8月17日 10.7%
3回目    1993年8月13日 14.5%
4回目    1997年8月8日   19.1%
5回目    1999年8月6日   18.8%
6回目    2001年8月10日 21.5%
7回目    2003年8月22日 15.1%
8回目    2005年8月5日   13.2%
9回目    2007年9月21日 7.7% 
10回目  2009年8月14日 9.4% 
11回目  2013年11月22日 9.5%
12回目  2015年8月14日 9.4% 
13回目  2018年4月13日 6.7% 

確かに、この作品の視聴率は下がっているといって間違いありません。

戦争時代が描かれていたり、子供が死ぬという描写があったり、内容が過酷や救いがないという理由で、この作品を苦手とする人がいるのも事実。

『となりのトトロ』のように万人受けするような内容でないために、視聴率が伸び悩むのも納得できる理由。

視聴率が取れなければ、放送されなくなるというのはテレビ業界の常。

また、ジブリ作品も魅力的な作品が年々登場しているので、どの作品を放送するのかという選択肢も広がってしまっているために、この作品の放送が少なくなったということもあるのではないでしょうか。

大人の事情で放送されなくなったというのがこの噂の発端なのではないのでしょうか。

実際に、禁止された作品とはなっていないようですので、また地上波で『火垂るの墓』が放送されることもあると思います。その日を楽しみに待ちましょう。

まとめ

いかがだったでしょうか?

『火垂るの墓』にまつわる都市伝説を紹介してみました。

噂もあれば事実もあり、様々な視点で作品を見ることができ、おもしろいのではないかと思います。

ぜひ、もう一度『火垂るの墓』を楽しんでみてください。

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