この世の中にはありとあらゆる恐怖をうたう話があります。
いわく、死者と会った、拷問によって苦しみながら殺された、どうもうな獣によって無残にも食い殺された、大量虐殺・・・・あげればきりが無いでしょう。
しかし、ある意味最も恐ろしいのは、何が起きたのか全く分からない、全くの未知こそが最大の恐怖であると言えるのです。
そんな未知についての恐怖を語る上でとても分かりやすく、なお恐ろしい話、メアリーセレスト号についての伝説をご存じでしょうか。
メアリーセレスト号の伝説とは
まだ鉄板の船が広く広まっていなかった、19世紀の話です。
メアリーセレスト号はアメリカの商船で、ニューヨークからイタリアのジェノヴァを目指して航海を続けていました。
乗組員とその家族たち合計10名ほどが乗っていたそうです。
後に発見された日記によれば、航海は順調そのもので、船内にはたくさんの商品を積んで大西洋を横断、ポルトガル近くの海域にまで差し迫っていました。
結果を先に言ってしまうと、メアリーセレスト号は1872年の12月4日に、ポルトガル領の島の沖合で発見されています。
発見されるほんの10日ほど前まで航海日誌は付けられており、全く問題など無い順調そのものの航海の様子が見て取れたそうです。
しかし、メアリーセレスト号はポルトガルに到着したのではなく、発見されたのです。
驚くべきことに、メアリーセレスト号の船内には一切の人間がいませんでした。
それこそ神隠しにでもあったのかと言えるほどに、船内はもぬけの殻だったそうです。
恐るべきことに、船内には大量の食料と航海に必要な設備の大半が無事な状態で残っていたそうです。
そして血は一滴も残っていませんでした。
当時は電話など無く、助けを待たずして船を捨てることは死に直結します。
それほどまでに、恐るべき状態にメアリーセレスト号は直結していたのでしょうか。
人々はその一滴の血も残さぬ未知の失踪に恐怖しました。
目的を考えども一切確証は持てないのです。
やれ、嵐によって船員が皆さらわれた、海賊に襲われた船を捨てて逃げ出したなどと言いますが、それらしいはっきりとした証拠は見つかりません。
そしてとうとう失踪した船員とその家族たちが戻ることはありませんでした。
遺体すらも見つかってはいません。
もしもこれで遺体が見つかり、海賊なり嵐なりの原因が分かっていたとするならば、それはそれとして恐い話としてそれだけで終わり、ここまで有名になることは無かったでしょう。
しかし全く理由の分からない未知の失踪であるが故に、人知を越えた何かのように思えてしまい、今日まで語り継がれる伝説となったのです。
第三者から見た場合、わからないということが結局は一番恐ろしいのです。
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