【投稿者:evaさん】
父も母も商売人でした。
4歳3ヶ月になった僕には妹が出来ました。
両親は一日中忙しく母親は授乳も出来なかったので乳母がやってきました。
あまり乳母の創った料理を食べなかった理由を思い出すことが出来ないのは僕が幼かったからだと思っていました。
乳母は両親がいるときは”仕事”していました。
すなわち僕らの世話をしたり掃除をしたりしていたということです。
両親がいるとき?そうなんです一個ぐらいは今でも覚えていることがあります。
花火の種類の中に癇癪玉というのがあります。
地面に投げつけるとパーンと盛大な音を立てて弾けるパチンコ玉ぐらいの大きさの花火です。
4歳の僕の足下に乳母は花火を投げました。
パーンッ パンパンッ バンッ!
最初は手元が狂ったのかと子供ながらに思い・・・いえ 子供だからこそ疑いもせず信じていたと思います。
声には出ませんでしたが(なんであんなにうれしそうにわらってるんだ???)いつの間にか涙が止まらなくなって・・・すこしオシッコも漏らしていたかもしれません。
それでも乳母は癇癪玉を投げ続けます。
ニヤニヤ パーンッ バンバンッパパーンッ!
子供のオモチャに買ってきた癇癪玉ですからそんなに沢山はありません。
乳母は全部投げ終わると僕に背を向けて部屋に入ってしまいました。
それから1年後ぐらいです。
1歳になった妹を背負って買い物に出かけた乳母が帰宅すると大声で泣きながら
「妹を橋から川に落としてしまった!」
と言うのです。
それはそれは慌てて両親は乳母のいう場所を探しに行きました。
どこにもいません・・・なぜ乳母がそんな嘘をついたのか?
妹は家の赤ちゃんベッドにスヤスヤ眠っていたのでした。
その後半年ほどは何事も無く過ぎました。
5歳を過ぎた僕が外遊びから帰宅すると乳母が食卓で耳かきをしていました。
そして、(これは今思い出しても、どこまで現実だったのかの自身がないのですが)
乳母の耳から耳かきで取り出していたのは、小さな羽虫だったんです。
次から次に。取り出した羽虫は、そこら中に飛び回っています。
気づかれないように・・・息を殺して・・・僕は逃げました。
その後乳母は解雇されたようで姿を見かけませんでした。
20年が過ぎて母は語りました。
乳母は精神病院に入院して、そこで亡くなったと・・・
あの虫はいったい何だったのか?
僕の見間違い?幼い頃のことですし、記憶違いなのかもしれません。
ただ、真相は今も解りません。