切腹は武士にとって誉の死に方であると言われています。
ですがそれは、あまりにも残酷な死に方です。人間は腹を切った程度では死ねないからです。
切腹を行って完全に死に至るまでには、多くの時間を有しそれだけ苦しむことになるからです。
それ故に実際は介錯といって、腹に刃を突き立てた直後に、首を切り落としてもらうことが多かったそうです。
そんな壮絶な死に方である切腹ですが、その始まりについてはある伝説が存在していることをご存知でしょうか。
日本で初めて切腹を行ったのは「源為朝」説
源為朝(みなもとのためとも)、平安時代末期の武将である彼こそが、切腹を始めたと言われています。
彼はその名を日本全国に知られたほどの強力な武将でした。
彼が刃をふるえば人間の体は鎧ごしに切断されて真っ二つに引き裂かれ、彼が矢を放てばそれは鎧武者2人を貫いて3人目に傷を負わせたとされています。
NHKの大河ドラマ、平清盛にも登場していますが、その時のキャッチコピーは平安時代のガンダムでした。
常人の5倍の強度の弓を軽々と使いこなす彼は、それほどまでに規格外な存在だったのです。
しかし、いくら強大な武将であっても、数の暴力には敵いませんでした。
保元の乱と呼ばれる戦乱においても、彼は大暴れしてその名を歴史に名前を残すのですが、最終的には破れて捕らえられ、伊豆諸島に島流しにされてしまったのです。
その際に二度と弓が引けなくなるように、腕の腱を切断されたそうです。
しかし、恐るべきことに彼はそれを乗り越えて、再び強弓をいることが出来るようになりました。
流石にかつてのように常人の5倍の強度の弓は引けなかったそうですが、それでも常人の3倍の強度の弓を軽々と使いこなしたそうです。
さらには、腕の腱を一度切断されたために、腕の長さそのものが伸びており、命中率においてはかつてよりも向上したほどだったそうです。
源為朝は、その圧倒的な武力をもって伊豆諸島を支配下に置いてしまいました。
それに危機感を覚えたのは、彼を流刑にした側の人間でした。すぐさまに為朝討伐のための軍勢を送ったそうです。
為朝は数の暴力にかなわないことを十分承知でした。
それ故に自身に対する討伐軍が向けられたことを知った際には、自らの手で壮絶な死を選んだそうです。その際に行ったのが日本史上初の切腹だと言われています。
しかし、死を前にしても源為朝は伝説を残しました。
せめて一矢報いると彼は押し寄せる討伐軍の船に弓を放ったのです。
そしてそれを受けた船は一撃で沈み、多くの侍が海の藻屑と消えました。
それを見た為朝は満足そうに自身の腹を切り裂き、自害してはてたそうです。
この話がどこまで真実であるかはわかりませんが、これほどまでに圧倒的な武将の死にざまであったがゆえに、切腹は広く武士の間に広まったのかもしれませんね。
・・・・何というか、そのまま戦っていても勝てそうな気はしますが。
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