【投稿者:片目の子猫さん】
日本にピラミッドがあるのをご存じでしょうか?
例えば、広島県の葦嶽山(あしたけやま)はピラミッドであると言われています。
写真を見ると、確かに、ピラミッド的な三角形をしています。
ピラミッドの上に土が積もり、そこに木が生えて山になっているのだそうです。
他にも、秋田県の黒又山(くろまたやま)、滋賀県の三上山(みかみやま)などがピラミッドなのだそうです。
本日は、ピラミッドに関して私の周囲でささやかれている話をご紹介します。
そしてこの話が、仁徳天皇陵と深く関わってくるのです。
少し前置きが長い話になりますが、興味のある方は是非最後までご覧ください。
仁徳天皇陵が調査されない本当の理由
私は、7年前に私立のP大学を卒業して、今はエンジニアをしています。
(以下、特定されると困りますので、大学名や個人名は匿名とします。)
この大学に、Aという教授がいます。
国立のQ大学から移ってきた人物です。
Aは、若くして教授になり、そのうち学部長になる、という噂でした。
確かに、昨年、学部長になっています。
出世が早いから、ものすごく出来る人間なのだ、と思うかもしれません。
しかし逆で、彼は、全然、頭がよくないのです。
学生であった私の目から見ても、あいつバカじゃないか、と思ったほどです。
しかも、人間的にもダメ。
上の者にはおべっかを使い、下の者には威張り散らします。
よくまあ、教授になれたものだと思いましたね。
その上、学部長になった。
これには次のような理由があるのだ、と大学関係者から耳打ちされたことがあります。
大学関係者からの「とある噂」
Aは東大出身です。
そして、東大出身というブランドでQ大学の助手になりました。
なお、現在は“助教”といいますが、当時は“助手”でした。
他の肩書や用語も、その当時の名称を使います。
Aは、確かに大学受験的な頭の良さはありましたが、創造的な才能はありませんでした。
助手になったら、学問的な実績を作り、そして、助教授、教授、学部長、と出世していくのが普通です。
この出世コースを進むには創造的な才能が必要なのです。
しかし、Aには、それがありません。
彼自身も、このことは分かっていました。
Aは、イライラし、その分、学生などの立場の弱い者たちに怒鳴り散らすのでした。
言い忘れましたが、Aの専攻は地球物理学です。
地震の起きるメカニズムなどが研究テーマなのです。
さて、すみませんが、少し固い話になります。
地震はどうして起きるのか、を調べるには、地面の中の構造を知る必要があります。
どうすれば地面の中の構造が分かるでしょうか?
見ればいいのです。
身体の中の構造を見るにはX線がありますよね。
同じように、地面に電磁波を照射して、その結果を解析して、画像にするのです。
こう書けば簡単です。
でも、どういう電磁波を、どういう角度で照射するか、は難しい問題です。
結果を解析する方程式も、ハンパではありません。
私自身、大学で選択科目として履修したことがあるので、難しいということはよく分かります。
こういうことを、Aは研究していたのです。
ただ、能力に乏しいAにとっては難しすぎる研究なのです。
ひょんなことから、Aは金脈のノートを入手する
ある日のこと。
AのところへBさんが訪ねてきました。
Bさんは、中学を卒業した後、ある鉱山の鉱夫になりました。
その後、真面目に仕事を続けて、定年のときには本社の課長にまでなりました。
たたき上げの真面目人間です。
Bさんがまだ若い頃に、坑道が壊れて地下水が奔流する事故があり、友人が亡くなりました。
このことにショックを受け、岩盤の向こう側を見ることは出来ないのか、を研究するようになりました。
Bさんは中卒で、物理や数学の基礎知識すらないのですから、大変なことです。
それでも、死んだ友人のことを思い、コツコツと勉強しました。
そして、定年後になって、ようやく研究が完成したのです。
Bさんは、自分の研究成果を見てもらおうとして、Aを訪問したのでした。
Bさんにしてみれば、Aは大学の先生であり、雲の上の人です。
おずおずと研究ノートを差し出しました。
Aにしてみれば、Bさんは学歴のない、無知な人間です。
研究ノートをチラっと見ると、
「その辺に置いておいてよ。一か月後に来てくれる?」
と、ぞんざいに言いました。
Bさんは、一ヶ月かけて研究ノートを調べてくれるのだ、と思い、お礼を言って帰りました。
もちろん、Aにしてみれば、素人の研究ノートなど見る価値もない、と思っていました。
数日後のことです。
Aは、会議に出るとき、自分のノートと間違えて、Bさんの研究ノートを持ってきてしまいました。
助手であるAは、会議ではほとんど発言権がありません。
発言しても、誰も相手にしてくれないのです。
それで、会議中に、“内職”をしようとしてノートを持参したのです。
だが、持ってきたのはBさんのノートでした。
仕方なく、Aはノートをチラチラと見ました。
Bさんは、物理や数学の基礎訓練を受けていません。
ノートの書き方は、完全な自己流です。
まだるっこしくて読みにくいものです。
しかし、Aも東大出の秀才ではあります。
書いてあることの本質を見抜く力量はあります。
そして——、Bさんが、地面の中を見る問題を解決していることを見破ったのです。
どういう電磁波を、どういう角度で照射するか、結果を解析する方程式は……。
これらのことが、すべて解いてありました。
人間、やれば出来る、ということの見本みたいだと思いますね。
一ヶ月後にBさんが来ました。
「あのう、ノートを見て頂けましたでしょうか?」
「拝見しました」
「ありがとうございます」
「よくここまで勉強なさいましたね」
「恐縮です」
「でも、この研究は、スタンフォード大学のスミス教授が、微分方程式の方法で……」
Aは、素人には分かりそうもない言葉を乱発しました。
「……、そういうことで、残念ですが、この方法は無価値なのです」
こう言って、AはBさんを送り出しました。
もちろん、AはBさんの研究をパクるつもりなのです。
Bさんは、自分の研究を偉い大学の先生が見てくれた、ということで、満足して帰りました。
Aは、Bさんが考えた方法で、地面の内部に特定の電磁波を照射する装置を作りました。
どこかで、実際に試してみなければなりません。
実験先に選んだのが……仁徳天皇陵
彼が選んだのは仁徳天皇陵です。
仁徳天皇陵は、皇室が管理しており、考古学の発掘が許可されていません。
手つかずの場所ですから、何が出て来るか、期待も大きくなりますよね。
Aは、ヘリコプターをチャーターして、東西南北の方向から、電磁波を照射して、データを収集しました。
研究室へ戻ったAは、データを分析し、写真画像にしました。
そこに移っていたのはピラミッドでした。
仁徳天皇陵じたいがピラミッドなのではありません。
彼の計算によると、エジプトのクフ王のピラミッドの2倍の大きさのものが、仁徳天皇陵の下に埋もれているのです。
ピラミッドの先端だけが地表に出ていて、それを隠すように仁徳天皇陵が作られているのでした。
ピラミッドは、石製ではありませんでした。
ツルリとしており、おそらく金属製のようなのです。
大発見です。
Aは、大喜びで、研究成果をまとめ始めました。
次の日、Aの研究室に警察官が来ました。
わけが分からないまま、Aは黒塗りの車に乗せられました。
車が到着したのは皇居です。
皇居の奥まった一室へ連れていかれました。
そこには、総理大臣と文部大臣がいました。
さすがに天皇はいませんでしたが、皇族に仕えているのだろう、と思われる男もいました。
後になって分かったのですが、この男は検非違使庁長官でした。
検非違使庁とは、平安時代から続く、皇族のための秘密警察なのです。
あぜんとしているAに向かって、総理大臣が言いました。
「君、大学教授になりたいかね?」
Aは、ただ、頷くだけでした。
「ちょうどP大学に空きがある。そこに移れるよう、手配する」
総理大臣は、文部大臣を見ました。
文部大臣が続けました。
「世間の目がうるさいから、すぐに、ということは出来ないが、そのうち学部長にしてあげる」
検非違使庁長官が言いました。
「仁徳天皇陵のことは、なかったことにするんだ」
Aが研究室へ戻ると、電磁波を照射する装置も、仁徳天皇陵を調べたデータも、すべてがありませんでした。
その次の新学期に、AはP大学へ移りました。
助手から、いきなり教授になったのです。
Aは、黙っている限り国が面倒を見てくれる、ということが分かりました。
もし一言でも話せば、彼は消されてしまうでしょう。
仁徳天皇陵の地下に金属製の巨大ピラミッドがある……。
ちょっと信じがたい話です。
それとも本当なのでしょうか。
信じる信じないは、あなたにお任せ致します。
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