【投稿者:埼玉女子さん】
私の知り合いに、占いやいわゆるパワースポット巡りが好きな女性がいました。
何か悩みがあると、占いに頼りにしたり恋愛運がアップする神社、金運が上がる神社などを巡るのが好きな人でなんでも神頼みというような傾向にありました。
しかし、神頼みしても好きな人と付き合うことができない、金運も上がらないといった悩みが解消しない彼女は、「縁結びではなく、縁切りに行ったらいいかも」と言い出したのです。
彼女の話では、有名な縁切りの神社があるということで、そこで借金から解放された、夫の不倫問題から解放されたというような話を聞いたというのです。
県外からもわざわざこの神社に訪れる人がいるほど人気の神社に、彼女はお試しのような感覚で訪れたと聞きました。
当時、彼女は職場の上司とうまくいっておらず、上司との縁切りをお願いしたようです。
神頼みでどうにかなるものではないと思っていましたが、縁切りの神社に行ったと聞いて一ヶ月ほど経ち、「縁切りが叶った!」と報告を受けました。
異動でもあったのかなと思ったものの、なんとその上司に大病が発覚し退職せざるを得なくなったというのです。
これに味をしめたのか、またしても休みを利用して縁切りで有名な神社に行ったというのです。
しかも、その願いはすぐに叶ったと言うこと。
それは、意中の相手に彼女がいることを知り、好きな人と彼女の縁切りを願ったところ、彼女の浮気が発覚して破局したことが判明したというのです。
それでもすぐにその男性と付き合うことができなかった友人は、「私が付き合えないなら他の女性との縁切りをお願いする」と、自分以外の女性との意中の彼との縁切りを願ったようなのです。
さすがにそれは無理だろうと思ったものの、彼女の意中の相手はある事件を起こしたことを知りました。
彼女は「刑務所に入って本当に女性と関われなくなっちゃってるしw」と笑って彼への思いを諦めていたようなのですが、私は縁切りの威力に恐怖を覚えていました。
「もう縁切り神社にお願いするのはやめなよ」と言いましたが、全く懲りていない様子。
それどころか問題はこの神社で解決してもらえると思い込んでいる様子。
何かトラブルがあると、彼女は有給をとってまで神社に行くようにもなっていったのです。
その報告を受けるのは本当に苦痛でした。
近所の犬がうるさいと、犬との縁切りを願ったら、その犬が事故に遭ったなどの悲惨な話も聞かされていき、私は彼女がどんどんと怖くなっていきました。
縁切り神社の中には、どんな手段を使ってでも、縁切りを成立させてくれるという話を別の友人から聞いたのは、彼女がどっぷりと神社にはまっている時でした。
それが本人が幸せになるかならないかは関係なく、願った縁を強制的に切らせるのだと。
その話が本当だと思ったのは、久しぶりに彼女と会った時。
最後に見た姿から別人のように痩せ細っていたのです。
どうしたのか聞くと、病気が発覚して食欲が減少し、痩せてしまったのだというのです。
しかも、病気で休むことが多くなり、仕事も辞めさせられたのだと。
「太った体と縁切りしたい、仕事が忙しくて辛いって願ったからかな」と笑って打ち明け、私にも悩みがあったら行ったらいいよすすめてきました。
体調を崩し、仕事を失ってもまだ懲りない彼女に私は怖くなり「もうその神社に行かない方がいいよ」と言うと、彼女はムッとして「私が幸せになったのが悔しいんだ」と、自分が不幸に向かって歩いていることに気がついていない、むしろ喜んでいる姿に怖くなりました。
それから数週間、私は彼女に会うこともありませんでした。彼女から連絡もなかったのです。
最後に会ってから一ヶ月ほど経ったとき、共通の友人か彼女が自殺したと聞かされました。
自殺の原因は病気や解雇のショックじゃないかと言われているらしいけれど、と前置きした友人は自殺する一週間前に実は彼女に会ったと話してきました。
そして、「あの子、あなたとの縁切りをするために神社に行ったらしいよ」と言うのです。
彼女は「私が縁切りを願ったから、あいつもう死ぬよw私の幸せを妬むから、殺されるんだよw」と、笑ったと言うのです。
彼女は縁切りを利用して、私の死を望んでいたのです。
彼女の望みは叶い、私と永遠の別れが実現したものの、それは自らの死を持ってということ。
もしかしたら、死んでいたのは自分だったのではないかと思ったらゾッとしました。
しかし、友人の次の言葉が更にゾッとさせられました。
「あの子、本当に自殺なのかな。だって、自分が死ぬことじゃなくて、あなたが死ぬことを望んでいたみたいなのに……」
その言葉に私ははっとさせられたのです。
私の死を望んでいた彼女が自殺するだろうか?本当は自殺ではなかったのでは?
彼女がなぜ亡くなったのか本当の理由はわかりませんが、神頼みしすぎて人の不幸を願ったことが関係しているとしか思えません。
縁切りは安易に行うものではない、人の不幸を願うものではないと思い知らされました。
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