本能寺の変
天正10年(1582年)の6月2日。戦国時代に天下人として日本をほぼ手中に収めていた織田信長は、明智光秀の謀反によって本能寺にて自害した。本能寺は焼けてなくなり、明智光秀は信長の遺体を探すが、いくら探しても見つからない。その後、明智光秀を京都の山崎において破った豊臣秀吉も信長の遺体を探すも、やはり見つからなかった。俗に言う「本能寺の変」であ
歴史の定説では、以上のように言われているが、実際は違ったという説がある。それが「織田信長は海を渡りバチカンにたどり着き、世界征服を目指しローマ法王に君臨することを目論んだ」という説である。
本能寺の変の時、信長に敵対する勢力としては、中国の毛利家・四国の長宗我部(ちょうそがべ)家・越後の上杉家ぐらいで、九州筆頭の島津家も奥州筆頭の伊達家も信長と交流があり、信長とは戦う意思を持っていなかったと言われている。
毛利家には秀吉が攻め込み壊滅寸前。長宗我部家には信長の三男信孝が遠征軍を率いてこれも壊滅寸前。上杉家には柴田勝家が対峙しており、上杉家が信長の軍門に下るのは時間の問題であった。
以上より、信長はほとんど日本統一を手中に収めていた、と言える。将棋であるならば間違いなく詰んでいた。この状況で好奇心旺盛である信長が、日本にはもう飽きてしまい世界を見ていた可能性はある。
「日の本は、もはや手中に収めた!次は世界征服じゃ!」
これが本当の「信長の野望」であったかもしれない。
今後、コーエーテクモが、日本国内のみならず世界全体で世界征服していく歴史シュミレーションゲームを作る日もそう遠くない未来にあってほしい。
臨死体験で見た信長の野望
上記で述べた説を証明したわけではないが、正しいかもしれないと主張する人物がいる。元自衛官である木内鶴彦(きうちつるひこ)氏である。木内氏は22歳の頃に難病が悪化し、医師から死亡宣告を受けた。つまり一度死んでいる。が、しかし30分後に蘇生し、2022年現在も生きている。実際、医師のカルテには死後蘇生したと記録されており、国内で唯一の事例である。
この30分間で木内氏は、臨死体験をすることになる。臨死体験は意識するだけで意識した場所に瞬間移動ができると木内氏は語っていた。
おそらく木内氏は地球人ではなく、サイヤ人なのである。悟空がヤードラット星人に教えてもらった瞬間移動を木内氏も教えてもらったのだ。木内氏が本気を出せばスーパーサイヤ人にもなれる。
冗談はさて置き、臨死体験の最初の方は母親や姉のことを意識し、飛んでいたそうだが、味を占めた木内氏は、「本能寺の変の後」を見てみたい!と好奇心のまま意識すると、港で信長と光秀が話をしているのが見えたそうである。
「光秀!うまく出し抜けたのぉ~。大儀であった。」
「殿!そろそろでございますな。」
「わしは真の天下統一を成す!狭い日の本にもう興味はない。そなたも来るか?」
「船がおっかない故、拙者はご遠慮いたします。」
このような会話を行い、バチカンに向かいローマ法王を目指し、枢機卿の地位(法王の一つ下の位)まで上り詰めた、という。
これが木内氏の臨死体験で見た織田信長であった。この話を正しいと仮定するならば、おそらく明智光秀も生きていたように思う。定説では、豊臣秀吉に討ち取られたとされているが、光秀も信長同様に「首」が見つかっていないようで、替え玉の可能性は大いにある。
実際に、信長は秀吉以上に光秀を重宝していたと言われている。今となっては、誰にも真実は分からないが、教科書だけを学ぶのではなく、このような様々な説を見たり聞いたりして、ロマンを感じるのもまた勉強になる。
所詮、歴史なんて当の本人しか証明できないのだから。
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