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『もののけ姫』の都市伝説まとめ|サンとアシタカの秘めた関係性やエボシ衝撃の生い立ちなど徹底紹介!

1997年に公開された映画『もののけ姫』。

興行収入は193億円を記録した大ヒット作となり、当時の日本の歴代興行収入記録を塗り替え社会現象にまでなった作品です。

また、スタジオジブリ最後のセル画と絵の具を使った作品でもあります。

『もののけ姫』以降は全てフルデジタル処理となったために、ジブリに置いても転機となった作品でもあります。

映画の内容だけでなく、「生きろ。」というキャッチコピーに、顔中血だらけにしてこちらを睨みつけるヒロイン、サンのポスターも話題となりました。

ただ見るだけでももちろん楽しめる『もののけ姫』ですが、数々の都市伝説があるのを皆さんはご存じでしょうか。

ここでは『もののけ姫』にまつわる気になる都市伝説を深掘って紹介したいと思います。

サンとアシタカは実はSEXしていた?

出典:https://twisave.com/marume9/favorites/2016/8/p:23

この都市伝説はとても気になるネタ。

サンとアシタカは、『実はやっちゃってたんじゃないの?』という説なのですが、これ、かなり信憑性があるかもしれません。

劇の中盤で、タタラ場を襲撃したサンはエボシと一対一の争いに発展しますよね。

出典:https://twitter.com/lotusa71/status/1426387931317424128

その際、2人の争いをアシタカが制止し、エボシを気絶させますが、そんなエボシのことを慕っているキヨというタタラ場の女性によってアシタカはお腹を撃たれてしまいます。

出典:http://maakata.holy.jp/2021/04/30/1700/

そのままサンを担いで山へ向いますが、途中で力尽き倒れてしまうアシタカ。ただそれに気づいたサンが、シシ神様にアシタカの生死を委ねるために湖へと連れて行きます。

結果、シシ神によってアシタカは生かされたため、サンもシシ神の意思を継ぎ、誠心誠意アシタカを生かすために看病する、という流れになるのですが、、

この時、2人の距離感に「おや?」と感じた人もいるのではないでしょうか?

介抱するシーンでは、本映画の見どころに一つである口移しのシーン(キスシーン)が描かれますし、

これはキスですよね?(出典:https://scary-story.net/tosidensetu/princess-mononoke-urban-legend-erotic/)

問題はその後、妙に近い距離感で隣り合って眠るシーンも描かれています。

サン、ちょっと気を許しすぎなんじゃ…(出典:https://zaynhiruta.com/geinou/1222/)

まず前提としてサンは極度の人間嫌いです。

そんなサンが、シシ神の意思に従うというだけで、過剰と思えるほどの(心を開放した)サービスをほぼ初対面の男に対して行うのかなぁ……と。

このことに、鈴木プロデューサーも疑問に思ったようで、実際に宮崎監督にこの疑問点について「この時点で2人は大人の関係ですよね?」と直撃したんだそうです。

いつもは鈴木プロデューサーの疑問にはすぐ答えを出すサバサバした宮崎監督ですが、この質問にはだんまり。

しかし、鈴木プロデューサーはめげずにその後も宮崎監督を直撃し続けたそう。

すると、「そんなの、わざわざ描かなくてもわかりきってるじゃないか」との回答を得ることに成功したんだとか。

“明確な答え”ではないのかもしれませんが、宮崎監督のこの回答は、鈴木プロデューサーの質問を容認したようにも思える返事ですよね。

上図の洞窟内のシーンではすでに”事後”だったのであれば、2人の距離が絶妙なのも納得です。

アシタカは銃に撃たれて生死をさまよっていたのに、しっかりやることやっているんですね。

数日前までは生死をさまよっていたにもかかわらず驚異的な回復力を見せるのは、アシタカに降りかかった呪いによるものなのか、男女の関係によるものなのかはわかりませんが、

この洞窟での出来事があったからこそ、サンはアシタカという人間に対して心を開くきっかけとなったのは間違いなさそうです。

タイトルを決めたのは宮崎駿監督ではなく実はあの人だった!?

出典:Amazon

当初『もののけ姫』というタイトルは、仮タイトルとして扱われていたものだったそうです。

すでに見慣れている我々からすれば、この『もののけ姫』というタイトル以外はちょっと想像できないですよね。

実は宮崎監督の中では、この映画のタイトルを『アシタカせっ記』と決めていただんだとか。(ん〜〜ちょっと微妙のような^^;)

しかし、鈴木プロデューサーが仮タイトルであった『もののけ姫』を密かに気に入っていたため、金曜ロードショー内で流す告知CMの初報を『アシタカせっ記』とはせずに『もののけ姫』で強行して放送させたんだとか。

最初は宮崎監督はこのことに猛反対していたそうですが、すでに初報で『もののけ姫』というタイトルが視聴者に浸透してしまったため、今更タイトル変更も出来ずに引かざるを得ない状況に。

結局、『もののけ姫』という仮タイトルが鈴木プロデューサーのゲリラ的な強行策によって正式タイトルとなってしまったそうです。

鈴木プロデューサー恐るべし笑。

ちなみに、ジブリ作品には「の」の法則と呼ばれる法則が存在しており、タイトルに「の」が入っているとヒットすると言われています。

『となりのトトロ』、『魔女の宅急便』、『千と千尋の神隠し』、『崖の上のポニョ』などなど、大ヒットを飛ばした作品には確かに「の」が使用されている気がします。

さらに言えば、『風の谷のナウシカ』と『もののけ姫』には、「の」が2回も使用されていることで、結果的にスタジオジブリを代表する作品になったのではないかという都市伝説も存在するんだとか。

鈴木プロデューサーのタイトル強行決めが、『もののけ姫』がヒットしたひとつの要因になっているのかも、、しれませんね。

ちなみに宮崎監督が当初考えていた『アシタカせっ記』というタイトル案ですが、完全に没とはならず、映画のラストで流れるエンディングテーマの曲名となっているので、気になった方は曲と合わせて是非チェックしてみてください。

サンとエボシが憎しみ合う本当の理由

出典:https://www.cinemacafe.net/article/2016/08/05/42459.html

『もののけ姫』で圧巻のシーンの一つが、サンとエボシの戦闘シーン。

森を守ろうとするサンと、タタラ場を作るにあたって森を切り崩していったエボシが憎しみ合うのは仕方のないことなのかもしれません。

しかしよくよく見てみると、サンは”エボシに対してだけ憎しみ”の感情が突出して強いと思いませんか?

森を守るのであれば、タタラ場を壊す方に敵意が向いてもいいはずですよね。

それなのに、サンは他の人間やタタラ場ではなくエボシ個人を狙いに行っています。

何か理由があるのでは?と憶測が飛び交った2人の関係。

実は”2人は親子だったのでは”という都市伝説がささやかれているのです。

その噂を裏付けるのが、モロの有名なセリフ。

「森を侵した人間が、我が牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ」

というもの。

劇中でサンの母親が誰かということは名言されていいません。

サンの設定資料にも彼女の生い立ちについては、「森を犯した人が、生贄として赤子を置いていった」と書かれているだけ。

”サンは森に置いていかれた”という事以外は謎に包まれているのです。

そう言われると確かに顔も似ているような…(出典:https://www.youtube.com/watch?v=5cLmuqnn87M)

一方、エボシにはきちんと裏設定が存在しています。

『「もののけ姫」はこうして生まれた。』というジブリのドキュメンタリー映画でタタラ場に来る前のエボシの過去について紹介されており、その設定は以下のとおり。

・エボシは海外に売られ倭寇(わこう)の頭目の妻となる。
・その後、裏で組織を支配して夫を殺害。
・金品と当時最新だった武器の石火矢を持って、日本に帰ってきた。

というもの。

実は、エボシは結婚していたんですね。

では、この結婚で、エボシに子供が産まれていたら?

殺害するほど憎んでいた相手の子どもであれば、日本に連れて来たとしても愛せずに捨ててしまったということが起こっても不思議ではない気もします。

また、劇中でエボシがシシ神の森を奪う理由をアシタカに話す場面があります。

そこでエボシは

「古い神がいなくなれば、もののけたちもただの獣になろう。森に光が入り、山犬どもが鎮まれば、ここは豊かな国になる。もののけ姫も人間に戻ろう」

と話しています。

このセリフどことなく母親的な発言に聞こえないでしょうか?(ちょっと強引でしょうか?)

自分が捨てた子供に対する責任を感じている母親的な発言、にも聞こえなくもないこのセリフ。

皆さんはどのように感じられますでしょうか?

上記理由から『2人は親子ではないか』という都市伝説が生まれたというわけです。

自分を捨てた母親に対する思いが募り、エボシを憎むという方程式が出来上がれば、サンがエボシを異常に敵対するという理由も納得できる気もします。

エボシは宮崎駿の心変わりで生きることができたってホント?

タタラ場で暮らす人たちにとっては、エボシは神様のような人。

しかし、サンや森の住人から見ればエボシは悪役そのものです。

物語において、悪役にはそれらしい最後が通説となっています。

では、エボシの最後はどうだったのか?

出典:https://www.pinterest.jp/pin/779896860464229960/

首だけになったモロが、最後の最後に命を振り絞ってエボシに攻撃を仕掛ける。

エボシは間一髪でモロをよけ、致命傷は避けますが、右腕をかみちぎられてしまいます。

鈴木プロデューサーは、エボシの最後について「TECH WIN 10月号別冊/VIDEO DOO! vol.1」で以下の様に話されています。

エボシを殺したらいいんじゃないですか」と。話の連続性を考えたら、ああいう神を神とも思わぬ近代合理主義者は宿命として死ぬべきだと。それで、いわゆるエンタテイメントとしては、収まりがつく。エボシが死に、彼女の遺志をアシタカが引き継ぐ。故に彼はタタラ場に残る。―この方が分かりやすいでしょ?
 この案を宮さんはそうとう真剣に受け止めてくれました。実は彼もそう思っていたんです。彼は悩んだ挙げ句に、ある日「どうしても殺せない!」と言って来ました。「その代わりに、これでどうだ!」と持って来たのが、あの片腕もぎれるやつでした。それは、死んで終わりでは当たり前過ぎるということもあったでしょうし、エボシを本当に殺す為には時間が足りないせいもあったでしょう。

『TECH WIN 10月号別冊/VIDEO DOO! vol.1』より引用

一方、宮崎監督は同誌で以下のように語っています。

エボシという女なんですが、鈴木プロデューサーは「絶対壮烈に死んでもらわなけりゃ困る」と言い出しまして。でも生き残るんです。生き残る方が大変だと思っているもんですから。死ぬならもっと壮烈に闘ってくれなきゃ困るんだけど、壮烈に闘う基盤がないんですよ。映画の中で出来なかったんです。壮烈に闘って死ぬ方が、結構よくあるなとも思ってね。この映画では死ぬ筈だった者が平気で生き残ってるんです。死ななくてもいい人間たちが累々と死んでいるとかね。そういう意味では酷く無惨な映画なんです。

『TECH WIN 10月号別冊/VIDEO DOO! vol.1』より引用

宮崎監督が、エボシというキャラクターに愛着がわいて、生き残ることができた、という噂が飛び交っていますが、真相は、制作時間の短さとこの映画が本来持つテーマでもある『生きることの辛さ』という部分なのかもしれません。あとは…宮崎監督のほんのちょっとの心変わりだったのかもしれませんね。

生きていく方が辛い道をエボシに科す。

ジブリ作品はいつも時間との戦いによって変更となる話が多いのですが、エボシのラストも他の作品と同じだったのかもしれません。

サンとアシタカは実は死んでいるという都市伝説は本当か!?

シシ神の首を落とした後、その体から緑色のネバネバした体液のようなものが流れ出します。

この液体に触れると、命を落としてしまう。

人間もコダマも植物でさえも命を落とす液体ですが、シシ神に首を返す際、サンとアシタカはこの液体に触れています。

出典:https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q353397144

だけど2人は、一見死んでいない。

首を返した後、サンとアシタカは森の中で目を覚ますのですが、実はこのとき、目を覚ましたのではなく、あの世から戻ってきたのではないか、という説が存在します。

実際、シシ神の首が戻った後、枯れてしまった草木はまた以前の様に青々と茂っています。

出典:https://twitter.com/hbkr/status/1251910380768514048

同じことが、当然サンとアシタカにも起こったと考えるほうが自然ではないでしょうか。

2人は一度は死んでしまい、そしてまた息を吹き返した(もしくは草木と同じ様に新しく生まれ変わった?)

その証拠に、アシタカにかけられていた呪いの痣が目を覚ました後にはほとんどなくなっています。

出典:https://shop9.helloyou.ru/category?name=%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%91%E5%A7%AB%20%E5%91%AA%E3%81%84%20%E5%8A%9B

わずかに手のひらだけに残っているのは、「同じ過ちを繰り返さないように」という戒めを込めて残されたのだとアシタカは解釈していることから、あえて残された痣。

一度お腹を撃たれて死にそうになっているアシタカをシシ神は生かした過去もあることから、シシ神がアシタカを生かす側の人物だと考えているとしても不思議ではないですよね。

触れただけで即死となる液体に触れていながらも立っていられたのは、実は一度死んで生き返ったからという噂はあながちズレていないものなのではないでしょうか。

タタラ場に子供がいないのはなぜ?

タタラ場とは、今でいうところの製鉄所のような場所です。

基本女人禁制と言われているタタラ場ですが、エボシが作るタタラ場では多数の女性が存在します。

その理由は、エボシが”売りに出された女性”を買って仕事を与えているから。

さらには、タタラ場に多数いる包帯を巻かれた人々。

彼らはハンセン病患者であり、迫害を受けていたから。

ハンセン病とは、歴史上古くから伝わる病気で、多くの人が恐れてきたものでもあります。

らい菌と言われる菌が皮膚と神経を侵す感染症です。

そんな人物を差別せずに受け入れ、人として扱っていることからも、エボシはタタラ場の人たちから敬われています。

病人と女性、世間からひどい仕打ちを受けていた人が当たり前に存在する場でありながら、でもなぜかタタラ場には子供がいない。

なぜなのでしょうか。

ちなみに、トキと甲六のように夫婦という関係は存在しています。

出典:https://comic-kingdom.jp/ghibli-kouroku/

夫婦はいるのに子供が一人も存在しない理由について、映画のパンフレットで宮崎監督は以下の様に話しています。

男が守らなければいけない女とか、家族の中の女性というふうにはしないで、わざと切り離した。本当は子どももいたんでしょうけど、子どもを入れるとややこしくなるから、あえて入れなかった。そのうち、子どももいっぱい生まれてくるんでしょうけど、今はまだそういう時期じゃないっていう状態のタタラ場にしておこうと思った。

『もののけ姫』映画パンフレットより引用

以上が、タタラ場に子供がいない理由なんだそうです。

”今はまだそういう時期じゃない”っていう宮崎監督のフレーズは、なんとなく伝わってくる気もしますよね。

以上のようなしっかりした理由があっため、タタラ場には子供が存在しないんだそうです。

コダマは『となりのトトロ』にも登場していた?

もののけ姫のラストシーンに、こだまが1匹描かれていますよね。

出典:https://togetter.com/li/1281457

実はこのこだま、のちのトトロなんだそうです。

これは、公式でしっかり語られています。

『「もののけ姫」はこうして生まれた』という書籍の中で、宮崎監督は以下のように話しているからです。

“チビで1匹でいいから、コダマがノコノコ歩いてるやつ、最後にいれてくれって。それがトトロに変化したって(笑)。耳が生えてたっていうの、どうですかね。そうすると首尾一貫するんだけど。”

出典:https://comic-kingdom.jp/ghibli-shototoro/

確かに、小トトロは、こだまと同じく白い体で、半透明にもなれる存在。

メイに対する好奇心の強さと、アシタカたち人間に対する好奇心の強さもなんとなく似ている節があります。

というわけで、こだま=トトロ説は事実というわけです。

最後に生き残ったこだまがトトロへと変化していくわけですね。

もし、シシ神がこだまを大量に殺さなければ、トトロの数もこだまの数と同じだけいたということなんでしょうか?

それはそれで面白そうですね笑。

謎多きジコ坊の正体とは?

出典:https://ameblo.jp/james0078/entry-12614909428.html

物語の序盤で、アシタカにシシ神の存在を教えた人物がジコ坊。

中年男性なのに非常に身のこなしが軽く、そして物知り。

アシタカを導いてくれる人物であるかと思えば神殺しを率先して行う人物。

戦闘能力もかなり高いと、謎が多い人物です。

その正体ですが、謎の組織『師匠連』の一人と言われています。

師匠連とは、天皇や朝廷の勅命で動く組織と言われており、今で言うところの謎に包まれた秘密結社的な存在のようです。

ジコ坊は一国の最高支配者である帝からの命令を直接受けられるほどのしっかりとした組織の一員、というわけなのです。

また、唐傘連(からさんれん)や石火矢衆(いしびやしゅう)のトップでもあり多数の部下を引き連れていることからもジコ坊はかなり地位の高い人物であったことがうかがえます。

仕事に関しては忠実で冷静な面を見せる一方で、アシタカの世話を焼いてくれたり彼を導く描写も見られる。

敵なのか味方なのか謎な人物ですよね。

根はいい人ですが、一度上からの命令となれば仕事に対して忠実に従う、中間管理職のような人物。

宮崎監督は、そんなジコ坊を現代の日本人そのものであると話しています。

確かに言われてみると、人情に溢れいているけども、上からの命令は絶対で、愚直に真面目に働き続ける日本人に似ている気も、、?

モロと乙事主は実は付き合っていた?

出典:https://www.tumgir.com/tag/Okkoto%2C

モロと乙事主(おっことぬし)は、昔からの知り合いであったとわかる描写は多数存在します。

ですが、実は過去に付き合っていたという噂が流れています。

この噂の真相は、映画に声を吹き込む『アフレコ』時に宮崎監督が、声優をしている美輪明宏さんにモロの声に女を匂わせたいからと、「二人は昔いい仲だったんです」という話をしたということからきています。

この話を聞いてモロの声が「女」に変わったと。

その変化が面白かったと宮崎監督は話していたということから来た話なのです。

これが、キャラクターの声に変化を持たせるための咄嗟に出した設定なのかもしれませんが、宮崎監督自身がそう伝えたということであればもう公式設定といっても問題ないですよね。

さらに、細かく言うと、若い頃に恋仲になり、人間を憎む気持ちは同じであるものの、人間に対する対抗の方法に食い違いがうまれ、100年前に別れてしまったという設定まであるんだそうです。

『もののけ姫」と『千と千尋の神隠し』の意外なつながりとは!?

『もののけ姫』も『千と千尋の神隠し』にも、神がメインとなっているお話ということから、なんだか共通点があるように思えるこの2作品。

サンの子孫が千尋ではないか?なんてトンデモ説がまことしやかに囁かれているのです。

何故、こんなうわさがあるかというと、『千と千尋の神隠し』の話中のエピソードですが、映画序盤に、千尋が湯婆婆と契約をする際、千尋が契約書に名前を書いたシーンがあるのですが

出典:https://yaoyorozunihon.com/sentochihiro-namae-6574/

このときに書かれた荻野千尋の荻の字、よく見ると、火ではなく犬と書かれています。

犬と言えば、もののけ姫に登場するサンは、山犬に育てられた人間。

自分のことを犬だと思って生きていた人物です。

子孫であるが故に、過去の記憶がよみがえり、千尋は自分の名前を間違えて犬と書いてしまったということで、サンとなにか繋がりがあるのでは!?となったんだとか。

確かに、犬で繋がっていますが、あまりにも似ていない2人笑

でも、千尋がいきなり神の世界で働くこととなったのは、サンの子孫という血筋で元々神と関わりが深い人物であったと考えれば納得できるのかもしれません。

ちなみに、千と千尋の神隠しで、千尋は自分の名前を間違えて書いたから、最終的に人間界に戻ることができた、という有名な都市伝説も存在します。

サンの子孫ということは、彼女(サン)は人間としてその後生活をしていたということになるのでしょうか?

あくまでも噂ではありますが、もののけ姫の物語の続きが想像できるような、おもしろい都市伝説が存在するんですね。

まとめ

『もののけ姫』にまつわる有名無名な都市伝説をまとめてみましたがいかがでしたでしょうか。

もののけ姫は何度見ても面白い作品ですが、裏設定も非常に細かく作り込まれているため、本当に奥が深い作品です。

今回の都市伝説を知ったうえで改めて映画を見返すとまた違った見方ができるかも知れませんよ!

何度でも『もののけ姫』を楽しんでいただければと思います。

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