上半身が人間で下半身が魚の姿をした人魚は、古くからヨーロッパの伝説に登場する生き物ですが、日本国内でも人魚伝説が残る地域があります。
場所は巨大な渦潮で知られる徳島、兵庫両県境の鳴門海峡。
今でこそ四国観光の玄関口として知られますが、明治時代初めに発行された地元新聞には、人魚を捕獲したとする記事が掲載されているのです。
人魚捕獲記事が掲載されたのは普通新聞
人魚の捕獲を報道したのは、1885年11月6日付の普通新聞です。
現在の鳴門市里浦町沖で人魚が捕獲されたが、すぐに死んでしまったことが書かれています。
少々うさんくさい話題であるせいか、「見てきた人の話なのでうそではない」とも付け加えていました。
江戸時代中ごろの1734年に書かれた「阿波国産物絵形帖」では、驚くことに阿波国(今の徳島県)の産物に人魚が挙げられています。
この古文書は部分的にしか現存せず、どんな姿をしていたのかは分かりませんが、徳島県の歴史をまとめた「徳島県誌」にも、古文書の記載を引用する形で人魚伝説が紹介されています。
もっと古い資料を探してみると、今から1400年も前の飛鳥時代に現在の大阪の漁師が網で人魚を捕らえたとする話が「日本書紀」に見られます。
このほか、聖徳太子伝説や不思議な肉を食べた女性が不老不死となる八百比丘尼(やおびくに)伝説にも、人魚が登場します。
人魚は本当に実在したのか
鳴門海峡と大阪湾は同じ瀬戸内海で目と鼻の先。
この辺りの海にかつて、人々が人魚と呼ぶ何らかの生き物がいた可能性が否定できません。
ただ、現在の私たちが持つ人魚のイメージは、西洋社会と交流する中で日本にもたらされたものです。
戦国時代には貿易商人や宣教師として西洋人が近畿や四国地方にやってきていましたが、どこまで庶民が正確に西洋の人魚の姿を知っていたかは分かりません。
だから、西洋の人魚とは全く異なる別の生き物が人魚と呼ばれていた可能性もあるわけです。
徳島県では人魚はアシカだったのではないかと考える人が多いようです。
というのも、今は絶滅したニホンアシカが、江戸時代まで鳴門海峡にたくさん生息していたからです。
ニホンアシカは戦後、島根県沖の竹島だけに生息していましたが、韓国が竹島に武装警察を常駐させたこともあり、姿を消しました。
ちなみに、動物園にいるアシカはカリフォルニアアシカという別の種類です。
このほか、イルカの仲間のスナメリや沖縄にいるジュゴンなども海を泳いでいると、人魚と見間違えるかもしれません。
普通新聞にその後の続報が掲載されていれば人魚の正体がつかめるのですが、この新聞社は既になく、詳しい状況が分かりません。
新聞報道から130年以上が過ぎ、謎は深まるばかりなのです。
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