この世界で生きている限り、事故はどうしても避けられるものではありません。
いつ何時、誰であっても事故にあう可能性はあるのです。
中でも、海にまつわる事故は恐ろしいです。
人間は水の中では生きていけないからです。息が出来ずに溺れ死ぬしかありません。
もしも運良く浮くことが出来たとしても、水は人間の体力を奪い続け、確実な死を運んでくるでしょう。
毎年多くの人間が海に食われているのです。
有名な話としてはタイタニック号沈没があります。それによって1500人を超す人間が死を迎えることとなりました。
これは当時世界最大級の海難事故であり、今日においてもこれを上回る程の犠牲者を出した海難事故は数えるほどしか存在していません。
しかし、世界の歴史においてタイタニック号に次ぐほどの犠牲者を出した海難事故が、日本で発生したことはあまり知られていません。
1100人を超す人命を奪った洞爺丸事故
洞爺丸事故(とうやまるじこ)、戦後間もない1954年に発生したこの海難事故によって、1100人を超す人間が海に命を食われました。
事故の直接的原因になったのは、その年に日本を襲った台風15号なのですが、あまりにも衝撃的すぎる事故によって、この台風は洞爺丸台風とさえ呼ばれています。
当時の日本はまだ本州と四国や北海道、九州といった島を繋ぐトンネルや橋が完成しておらず、それらの島を行き来するためには大規模なフェリーが利用されていました。
洞爺丸はそんな中でも本州と北海移動を繋ぐフェリーでした。
北海道函館市と青森県青森市を交互に出発して、多くの人を運んでいたのです。
しかし、非常に運が悪いことに、1954年に発生した洞爺丸台風に巻き込まれてしまったのです。
函館を出発した洞爺丸は、目的地の青森を目の前にして運航不能に陥ってしまいました。
この台風の特徴として、雨はほとんど伴わなかったのですが、風による火災が発生するほどに強烈な台風だったそうです。
それにあおられた洞爺丸は船体を支えきれず、やむなく青森の前の海域に座礁、皆は救助を信じて待っていました。
だが当時、荒れた海を超えて救助に向かえる船など存在せず、洞爺丸は救助が訪れる前に横転してしまったのです。
そして荒れた海に飲み込まれた、多くの人が海に命を食われたのです。
それが日本最悪の海難事故、洞爺丸事故の全容です。
洞爺丸事故と時を同じくして生まれた一つの都市伝説
事故が発生した海域、本州と北海道を隔てる津軽海峡は飢餓海峡とさえ呼ばれ、青函トンネル開発を大きく推進することとなりました。
だが事故はそれで終わっていません。
津軽海峡周辺の海岸には今でさえ、事故の亡霊たちがさまよっていると言われています。
函館市の海岸でタクシーに若い女を乗せたら、知らぬ間に消えていて席が水浸しになっていた。
洞爺丸事故の亡霊が原因とされるこの怪談話は日本中に広がり、多くの人がその存在を知ることになりました。
・・・・・津軽海峡周辺の海岸で、見知らぬ女を車に乗せてはいけません。
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