ナポレオンボナパルト、彼は世界で最も有名な人物の一人といっても過言ではないでしょう。
19世紀初頭に強大なフランス帝国を築き上げ、圧倒的な軍事力をもって不敗神話を歌われています。
しかし、そんな彼もロシア遠征の際の冬将軍に敵わずに敗北し、その一族も散り散りなってに逃げ延びました。
そんなナポレオンの直系の一族が迎えたとされる、あまりにも屈辱的な最期とその時に消えた皇帝の紋章の伝説をご存知でしょうか。
ナポレオンの末裔たちの躍進と失態
ナポレオン三世は戦争下手だった
ナポレオンボナパルトが破れてから数十年後、彼の甥がナポレオン三世を名乗り、一時的にフランス帝国を復活させています。
国民からは高い支持を得て、かつてのナポレオンのように戦争に明け暮れました。
ナポレオン三世は植民地を拡大させますが、悲劇的なことに彼は戦争下手でした。
メキシコへの出兵やベトナムでの清仏戦争において苦戦を強いられ、ナポレオンの名にけちを付けてしまったのです。
挙句の果てに、当時はまだプロイセンと呼ばれていたドイツとの戦争に破れて、捕虜になってしまう大失態を演じてしまいました。
それをきっかけとして、フランス帝国は再び崩壊してしまいます。
ナポレオン三世は失意のまま亡命先のイギリスで死んでしまいますが、彼の息子はナポレオン四世と呼ばれ、支持者たちからあがめられていました。
ナポレオン四世の無惨な結末
皇帝の紋章も、ナポレオン四世が受け継いでいます。
イギリスの女王にも寵愛された彼は、その恩義に報いるためにイギリス軍に参加していたそうです。
しかし、そんなナポレオン四世を最後に、ナポレオンボナパルトから続く、ナポレオンの家系は終わりを迎えてしまいました。
その末路はあまりにも悲惨だったそうです。当時はまだ暗黒大陸と呼ばれていたアフリカの、現在の南アフリカ共和国においてナポレオン四世は死にました。
それもなんと、槍と盾程度の武装しか持たぬはずの原住民族によって殺されてしまったのです。
敵対していたアフリカの部族、ズールー族の名前からズールー戦争と呼ばれている戦争に、ナポレオン四世も参加していました。
驚くべきことに、この戦争はイギリスが負けてしまったのです。
そしてナポレオン四世は押し寄せる原住民たちに押しつぶされ、槍にめった刺しにされてから死んだそうです。
その末路は、ナポレオンボナパルトの栄光からは想像も付かないほど、無残だったと言えるでしょう・・・・
さらに哀れなことに、無残な姿に成り果てたナポレオン四世の遺体からは、ナポレオンボナパルトより引き継がれてきた、皇帝の紋章も奪われてしまったそうです。
失われたナポレオンの紋章の行方は?
ズールー族がイギリスに敗れた後にも、ついに奪われた紋章は見つけることが出来ませんでした。
それはひょっとして、ズールー族にとってイギリスに対する最後の反抗だったのかもしれません。
今となってはナポレオンの紋章にどれだけの価値があるのか、計り知ることもできません。
もしも一攫千金を狙われている人がいるならば、南アフリカを訪れて、探してみるとといいでしょう。
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