日本は言わずと知れた地震大国です。
他国からすれば信じられない程の頻度で大地震に見舞われて、大きな被害を受け続けています。
しかし、その度に乗り越えて復興を行ってきたのが、日本の強さだと言えるでしょう。
しかし、失われた人命が戻ることはありません。
残された遺族たちは大きな爪痕を感じながら生きていくのです。
それ故に、大地震の後にはそれによる犠牲者を弔うために無数の慰霊碑が建てられています。
それこそが、死者に対する手向けなのでしょう。
阪神淡路大震災や東日本大震災などの超巨大地震の場合ならば、その死者を政府主導の下で弔う行事が行われています。
しかし、かつて日本で発生した地震には、他ならぬ政府の手によってその被害や、存在そのものが抹消されてしまった地震があるそうなのです。
日本政府によって隠された3つの巨大地震
問題となる3つの地震は1943年から1945年にかけて発生しています。
その間の日本では地震などとは比べ物にならない程の戦死者が出ていました。そう第二次世界大戦の終盤の時期です。
1943年の鳥取地震、1944年の東南海地震、1945年の三河地震。これら三つの地震は戦争の継続をのぞむ日本政府の手によって、情報が隠蔽されていたそうです。
戦時中の情報統制が厳しい時代であり、テレビなども普及していない時代ですから、情報の隠蔽は容易かったでしょう。
少しでも国民たちの戦意を向上させるためには、このようなネガティブな情報は邪魔でしかなかったのです。
ましてや地震のことを多くの国民が知ってしまえば、被災者を支援する必要も出てきます。戦時中の苦境に立たされている当時の日本に、被災者の支援に回せる余裕など存在しなかったのです・・・・・・
それ故に、多くの被災者が苦しみ、死んでしまったそうです。
一説にはこれら隠された大地震による死者は5000人にも達するとされています。
しかし、日本中がアメリカ軍による爆撃によって焼き尽くされたことに加えて、敗戦後の混乱の中で、これらの地震に関する資料はそのほとんどが失われてしまいました。
それ故に、ほとんどの人が地震によって死んだ被災者の事を知らないのです。
5000人もの被災者がその名を知られることなく、歴史の中に消されてしまったのです・・・・
この地震によって死んでしまった、5000人近い被災者の魂が安らかに眠っていることを祈ります。
日本においては、地震がいつ何時襲い来るかなどわかりもしないのですから・・・・・
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