【投稿者:こむたさん】
わたしは京都の小さな田舎町に生まれ育ったのですが、周囲から何かの折に出身地を問われるたび生まれが京都だと聞くと、
「羨ましいな〜」「京都行きたい!」
と、とても良いイメージしか持たない人がその殆どなのですが、
京都には皆さんがイメージしやすい有名な神社仏閣がある京都市を除くと、京都府下に約20を超える市町村があり、今でこそ過疎化の問題でそれくらいの数に合併されたものの、かつてその数はもっと多く、人口が一万人に満たない町村もたくさんありました。
わたしはその中の、とある町に生まれ育ち、田舎特有の見渡す限りの田んぼに囲まれて幼少期を過ごしました。
皆さんが思い浮かべるような京都ではないと都度お答えするのですが、京都のイメージが出来上がっている方にその様子を伝えてもピンとこない方が多いようにも思います。
隣町や市内に出かけるために、最寄りの駅の待ち合い場に行けばほとんどご近所の見慣れた顔しかおらず、30分に1本しか来ない電車を待つ時間は大抵誰かとホームで話している。
学校の同級生や知り合いの親御さんに会うときなども多く、思春期を迎えた頃にはその時間がたまらなく嫌で、わたしはホームの端っこに逃げていた記憶もあります。
まあ、そんな小さな小さな町でした。
小さな町のわたしの小さな実家は、駅まで20分くらいの場所にあり、実家から駅に向かう遊歩道は町に唯一ある商店街に向かう道でもあり、町民にも生活道として使われていました。
その遊歩道は、駅の反対側にある小学校に向かう通学路でもあり、当時集団登校をしていたわたしは、登校→下校→遊びに行く→家に帰る、と1日に必ず2回は往復していて、わたしにとっても思い出のたくさん詰まった道。
今思えば道幅も狭いし田舎らしく街灯が少ないので、夜間は少し薄気味悪さを感じはしますが、夜間に出歩くことの少ない幼少期においては、その遊歩道が仲間たちとの交流を結ぶための明るい道であり、その日も遊歩道を抜けて商店街の先にある友だちの家に遊びに行くところでした。
たしかわたしは近所の友だちと二人で歩いていたと思います。
商店街の通りまであと少しのところで、向こう側からすごくおめかしをした女の人が歩いてきました。歳はわかりませんが、自分の母よりも少し若い感じがしたので、当時30代半ば位だったかと思います。
わたしが幼いながら、「おめかし」と感じた理由は、わたしには感じることのできる「異質」なものであったからです。
今までお話ししてきた通り、わたしの街は田舎の小さな町で、歩いている人たちは見たことがある人が多く、知らなくてもその雰囲気は町に溶け込んでいることが常だったのですが、
その女の人は見たこともなく、町に溶け込んでいない雰囲気を持っていて、洋服も明らかに他所者であるという様子でした。
その女の人は、わたしと友だちの前で足を急に止めて、こう言いました。
「どこに行くの?」
顔には微笑ましい、優しいお母さんの雰囲気が出ていて、横にいた私の友だちが
「友だちの家に遊びに行くんだ!」
と答えると、その女の人は
「そうなの?それじゃ、またね。」
と言って、立ち去っていきました。
わたしは、そのときなぜかとても引っかかっていました。
その女の人は、わたしたち2人に対してそう問いかけたのではなく、
明らかにわたしの顔を見てそう話していたように感じたからです。
友だちの家でゲームをしたり、持っているお宝コレクションを見せ合いをしたりしている間にすぐ時間がたち、門限が早かったわたしは先に友だちの家から帰宅することにしました。
帰りの遊歩道で、また先ほどの女の人に会いました。
女の人は、先ほどと同じくわたしの前で足を止めてこう言いました。
「お母さんのとこに来る?」
なんのことかわからないけど、わたしの手を取る素振りを見せた女の人に、わたしは今から家に帰るんだと告げて、家の方へと歩き出しました。
すると、その女の人はわたしの家に向かって並んで歩き、わたしの横顔を微笑ましく見ていました。
感じた異質感に耐えられず、わたしが走り出すと女の人は足を止めて追ってくる様子はありませんでしたが、途中振り返ると、その小さな姿はまだこちらをずっと見ていました。
わたしはそのことを少しだけ母親に話しました。「誰かのお母さんかなあ。」と言っていましたが、母も少し気にはなっていたようでした。
それくらい、平和な田舎町だったためノイズに対して敏感だったのだと思います。
ただそのあと、その女の人に遊歩道ですれ違う日はありませんでした。
それからしばらくして運動会の季節になり、学校あげての大行事に生徒も家族も校舎のグランドには盛り上がりの声が溢れた楽しい一日だったのですが、運動会が終わろうかというそのときに、グランドの隅のネット越しに、そのときの女の人が立っているのを目にしました。
こちらを見ているのかわからなかったけれど、わたしのあのとき感じた生温い気持ちが蘇り、わたしは見て見ないふりをしたように思います。
ただ、服装はあの時と同じように、その場には不釣り合いなほどに際立っていた。そんな印象だけが頭に残りました。
時間が流れ、中学生になったある日。
家でわたしはひょんなことから、小学校時代の自分のアルバムを見ていました。
卒業式から順に5年生、4年生と時計の針を戻すようにアルバムをめくりながら懐かしい友だちとの学校生活を振り返り、最後の入学式のときの写真のページにたどり着きました。
わたしは、幼いわたしと母を見つけたその集合写真の中に、あのときわたしに
「お母さんのとこに来る?」
と話しかけてきた女の人を見つけ、驚きを隠せませんでした。
それまでの6年間の写真にも一度も登場せず、始まりの1枚にだけ映ったその女性。
隣にはわたしの同級生の女の子がいました。
わたしはその入学式の写真を見せながら母親に、
「◯◯ちゃんのお母さんって知ってる?」
と聞くと、母はこう答えました。
「知ってるけど、会ったのは一回だけ。2年生になるときにお父さんとお別れされたから、お母さんにはそのとき以来会ってないよ。それ以降は◯◯ちゃんのお父さんが学校に来ていたから。」と。
わたしはそのとき、「お別れ」の意味をいまいち理解していませんでしたが、数年後に地元の友人からその女の子のご両親は早くに離婚されていたという事実を知ります。
わたしは自分の身に起きたことを思い出しながら、その子のお母さんが離婚され、出ていかれたに違いない、離れた娘に会うために帰省した折、思うように会えない我が子に重ねてわたしに声をかけてくださったのだろう。
その話を聞いたとき、瞬時にそう考えました。
ただ、わたしにそのことを教えてくれた友人がその事実を話し終えたあと、こう言いました。
「でも、◯◯ちゃん、大変だったみたいだよ。
◯◯ちゃんのお母さん、知らない子を家に連れてくるようなことがあって、そのあたりが離婚の原因に繋がったらしいよ。だから色々あって、◯◯ちゃん隣町のおばあちゃんの家からお父さんがいつも送り向かいしていたんだって。」
わたしが遊歩道で異質感を感じたあのとき、
同級生の◯◯ちゃんが住む家は、わたしの町にはありませんでした。そこにあったのは、空き家でした。
わたしの手を取ろうとしたあのときの微笑みの裏側にどんな思いがあったのか、今では知る由もありません。
「お母さんのとこに来る?」
コメントを残す