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瓜生島沈没伝説の真相を考察する|一夜にして消えた島

【投稿者:maikichiさん】

一夜にして島が海に沈む伝説といえば、太平洋にあったとされるムー大陸や古代ギリシャの哲学者プラトンが書き残したアトランティス大陸が有名です。

しかし、日本国内にも似たような伝説があります。九州の大分県に伝わる瓜生島(うりゅうじま)の伝説です。

この島は別府湾にあり、周囲約110キロ。戦国時代に5000人が暮らす港町で、南蛮船がたびたびやってきたといわれています。

江戸時代前期に記述された歴史書「豊府紀聞」には、「1596年の慶長豊後地震で海に沈んだ」との記述があるほか、戦国時代から安土桃山時代に日本に滞在した宣教師のルイス・フロイスも「九州にある太閤(豊臣秀吉)の港が地震により大被害を受けた」と書き残しているのです。

江戸時代前期に書かれたとみられる評論書「徒然草嫌(もどき)評判」には、「秀吉が健在なころ、豊後沖の浜に至る海津が海に沈み、数百人が死んだ。そこにあったクスノキの大木は近年まで潮が引くと見えていた」と記載されています。

慶長豊後地震は、震源地が別府湾南東部。マグニチュードは7.0程度と推定されています。一夜にして島が沈んだという伝説は江戸時代にかなり広く伝わっていたようです。

幕末に書かれた「豊陽古事談」には、別府湾を埋め尽くすほどもある巨大な島の絵地図が描かれています。

この古文書は別府の僧侶舜堂倦玉が記したもので、絵地図には瓜生島とその隣にあった久光島に12の村があったとされ、現在の大分市から瓜生島まで渡しで2丁半(270メートル)、瓜生島から久光島まで渡しで8丁(870メートル)と記入されています。

内容は「豊府紀聞」の記述を基に読み物として面白く書かれており、信憑性は疑わしいようで、時が経つにつれ、話が大きくなって伝わっていたとみられます。

ただ、島の沈没自体は真実と信じられ、明治時代の1885年に発行された歴史書「豊後全史」や大分県が1911年に刊行した「豊国小志」、大分市が1915年に出した「大分市史」、東京大学地震研究所が1982年にまとめた「新収日本地震史料第2巻」も瓜生島の沈没が記述されています。

ただ、最近の研究では沿岸部の地滑りが慶長豊後地震であったとされ、その話に尾ひれがつき、瓜生島の沈没が生まれたとする見方も出ています。

真実はどちらなのでしょうか。


moja

maikichiさん話がマニアックすぎっす笑

読んでて途中からまぶたが重くなってきたよw
まあ確かに話自体は壮大でロマンあふれる感じではあるけどさあ。

ちなみにこのエピソード、歴史マニアの人はどう感じたのでしょうか?かなりグッと来るのかな。

私としてはいまいちワクワク感が感じられず、星3ってとこでしょうか。コメントもなかなかしづらい。maikichiさん次も期待しております。

編集長満足度:星3★★★

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